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1962-, 美術家 ウィキペディアから
山口 啓介(やまぐち けいすけ、1962年1月6日 - )は、日本の美術家。兵庫県西宮市出身。
武蔵野美術大学を卒業後、大型銅版画作品で数々の賞を受賞し鮮烈なデビューを遂げる。その作風から「方舟」や「宇宙船」のモチーフ、また宇宙的、生命的イメージが知られることとなる。以降、立体、絵画、インスタレーションなど、さまざまなメディアによる作品を展開する。1997年に発案した音楽用カセットケースと花や植物を使った作品「カセットプラント」が注目される。2002年に発表した、キャンバス絵画シリーズ「花の心臓」は代表作とされ、繰り返しこのモチーフが使われている。2013年の瀬戸内国際芸術祭で、香川県男木島の海岸に《歩く方舟》を設置する。
1962年西宮市に生まれる。祖父は兵庫の寺(浄土宗)の住職で、祖父亡きあと父が住職をつとめる。当時サラリーマンだった父の転勤で大阪府枚方市、福岡県福岡市、東京都世田谷区と転居をくりかえす。実弟はアートディレクターの山口アツシ。大学時代から東京都福生市の米軍ハウスに居住し制作。大学では油絵を描いていたが授業で銅版画を経験したことがきっかけで制作をはじめる。卒業後、同大学の研究室に入る。この頃に山口自身が恩人と語る池田満寿夫と出会い、満陽工房で銅版画制作の手伝いをしながら自身の作品をつくる機会を得る-《水船のためのsketch-満陽工房で》(1989年)。
1989年からの2年間で集中的に大型銅版画にとりくむ。1990年ヒルサイドギャラリー(東京)で初個展。1992年、Asian Cultural Councilの助成によりニューヨーク滞在、同年文化庁芸術家在外研修員としてフィラデルフィア(ペンシルベニア大学)に派遣。このとき大型組み合わせ銅版画の中で最も大きい作品となる《エノラ・ゲイ》の制作にとりかかる。1994年《エノラ・ゲイ》を含む銅製の船の立体作品などと組み合わされたインスタレーション《Calder Hall Ship Project》を発表。1995年に大阪トリエンナーレ1994の関西ドイツ文化センター・デュッセルドルフ市特別賞により渡独。ドイツ、デュッセルドルフ市から提供されたアトリエで《原子力発電所》《象の檻》《世界地図》の3つのシリーズからなる大型の絵画(紙)を制作する。その後、引き続きアトリエ・ヒューアベックの助成を受けデュッセルドルフに滞在。
1997年に帰国後、キャンバス絵画《コロニー》シリーズと、カセットプラントを発表。1998年以降、カセットプラントによるワークショップなど活動を広げる。1999年から2001年にかけて、しばらくやめていたエッチングを再開し《メメ海月・3つの現れ》と、自家製版画本《枯野と幼年期の終わり》を制作する。2001年ごろ、ゲーテの原植物の概念や、三木成夫の考えに触発され、植物と人間のアナロジー的絵画作品《花の心臓》シリーズを制作発表。2005年、イラクの劣化ウラン弾に被曝した子供を描いた《DU Child》を、初めての木版で制作する。2011年3月11日以降、《震災後ノート》を付けはじめる。2013年、瀬戸内国際芸術祭2013で男木島に歩く方舟を制作。同年いわき市立美術館でhakobune プロジェクトを開催。東日本大震災後、2015年「原‐ききとり」いわき市立美術館、2015-2016年「カナリア」豊田市美術館、2019年「後ろむきに前に歩く」広島市現代美術館で三部作的な個展を開催。2001年から、東京と兵庫に在住、制作。
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