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山内 長人(やまのうち おさひと、1850年10月14日(嘉永3年9月9日) - 1931年(昭和6年)11月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。位階および勲等、軍功は正三位・勲一等・功四級。貴族院議員。爵位は男爵。
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本籍神奈川県。江戸で幕臣の山内長敏の子として生れる。母のかねは藤田官次の二女。明治5年2月14日(1872年3月22日)、陸軍中尉に任官。1889年(明治22年)11月、陸軍士官学校次長となり、1890年(明治23年)8月、陸軍幼年学校長に就任。1892年(明治25年)12月、陸軍省大臣官房長心得となり、1893年(明治26年)8月、陸軍省高級副官に就任。同年11月、歩兵大佐に昇進し、日清戦争に対応した。
1897年(明治30年)7月、大臣官房人事課長となり、同年9月、陸軍少将に進級し歩兵第18旅団長に就任。1899年(明治32年)2月、憲兵司令官に就任し、1902年(明治35年)9月、休職した。1904年(明治37年)2月、留守近衛歩兵第2旅団長として復帰し日露戦争を迎えている。1905年(明治38年)2月、陸軍中将に進み、翌年4月に休職した。
1907年(明治40年)3月2日、予備役に編入され[1]、同年9月21日、その功績により男爵の爵位を授爵し華族となった。1913年(大正2年)4月1日、後備役となる[2]。
1911年(明治44年)7月10日[3]から1929年(昭和4年)2月4日まで貴族院議員に在任し[4]、公正会に所属して活動した。墓所は雑司ヶ谷霊園[5]。
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