Loading AI tools
琉球第2尚氏王朝第18代国王 ウィキペディアから
尚育王(しょういくおう、1813年8月19日(嘉慶18年7月24日) - 1847年10月25日(道光27年9月17日))は、琉球第二尚氏王朝第18代国王。在位1835年 - 1847年。尚灝王の子で、琉球最後の国王尚泰の父。童名は思徳金(うみとくがね)。書家としても知られる[4]。
父・尚灝王が亡くなった1835年(道光15年)に22歳で即位する。但し尚灝王の体調不良により(通説では精神病を患ったとされる)1828年(道光8年)に摂位し、15歳で実質的な王位に就いた。
1829年には、鹿児島の御用商人からの借財がかさんでいたため、増税や官人層の給与削減などによる厳しい財政再建策を示した[5]。一方で、士族の教育の為の学校を作るなど学問分野において力を入れるが、このことはさらなる財政逼迫を生じさせた[6]。在位中に死去、34歳。王位は次男の尚泰が継承した。
在位中、1844年(道光24年)、フランス海軍が那覇へ来航すると、フランス側の要求で貿易と宣教師テオドール=オギュスタン・フォルカードを滞在させて布教するのを許可した。1846年(道光26年)、フランスから開国を迫られ、入港を許可し、フランス海軍はフォルカードを伴い、帰国したという。同年、英国海軍が入港し、宣教師ベッテルハイムが逗留した。翌1847年(道光27年)、キリスト教の宣教師が滞在していたことを薩摩藩に報告。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.