小泉 又一(こいずみ またいち、慶応元年5月20日[1](1865年6月13日) - 大正5年(1916年)5月16日[2])は、日本の文部官僚・教育者。族籍は兵庫県士族[3]。
経歴
兵庫県出身。小泉吉善の長男[3]。姫路中学校を経て、1887年(明治20年)に東京高等師範学校を卒業。沖縄県尋常師範学校教諭、沖縄県学務課長心得、沖縄県尋常師範学校校長補、徳島尋常中学校教諭、福岡県尋常師範学校教諭、同教頭、同校長、和歌山県第一尋常中学校校長を歴任した。1899年(明治32年)、東京高等師範学校教授・同附属小学校主事に転じ、1905年(明治38年)からは同附属中学校主事も兼ねた。1909年(明治42年)より、文部省視学官となり、後に督学官となった。死去の直前の1916年(大正5年)5月13日に東京女子高等師範学校教授に任命された[4]。
東京高等師範学校附属小学校主事時代に初等教育研究会を創設し、雑誌『教育研究』を発刊。さらに小学校教員のための冬期講習会を開催した。
栄典
著作
- 著書
- 『教育史』 大日本図書、1904年2月
- 『教育学』 大日本図書、1904年2月
- 『教育的心理学』 大日本図書、1904年2月
- 『小学校各教科 教授法』 乙竹岩造共編、大日本図書、1904年4月
- 『小学校各教科 教授法』 乙竹岩造共編、大日本図書、1907年11月訂正五版
- 『小学校各教科 教授法』 乙竹岩造共編、大日本図書、1908年2月訂正六版
- 『改訂 小学校各教科 教授法』 乙竹岩造共編、大日本図書、1910年11月訂正七版
- 『修正 小学校各教科 教授法』 乙竹岩造共編、大日本図書、1913年10月訂正八版
- 『修正 小学校各教科 教授法』 乙竹岩造共編、大日本図書、1914年1月訂正九版
- 『普通教育学』 大日本図書、1904年10月
- 『改訂 普通教育学』 大日本図書、1913年4月訂正四版
- 『欧米教育の実際』 大日本図書、1905年5月
- 『小学校管理法』 大日本図書、1905年12月
- 『教育小説 棄石』 同文館、1907年5月
- 『近世教育史』 大日本図書、1907年12月
- 『修正 近世教育史』 大日本図書、1913年10月訂正五版
- 『論理学』 大日本図書、1908年2月
- 『修正 論理学』 大日本図書、1913年10月訂正三版
- 『実際的小学校教授法』上下巻、水戸部寅松共著、大日本図書、1913年6月-1918年5月
脚注
参考文献
関連文献
外部リンク
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