Loading AI tools
ウィキペディアから
小林 樹斗(こばやし たつと、2003年1月16日[2] - )は、和歌山県日高郡美浜町出身[3]のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。
美浜町立松原小学校の時に松原少年野球クラブで野球を始め、美浜町立松洋中学校では軟式野球部に所属[3]。
智辯学園和歌山高校では1年春からベンチ入りしたが同年夏の選手権大会ではベンチ外。2年時に春夏連続で甲子園大会に出場。第91回選抜高等学校野球大会では、1回戦の熊本西戦にリリーフ登板、準々決勝の明石商戦でもリリーフ登板したが、9回来田涼斗にサヨナラ本塁打を打たれた。夏の第101回全国高等学校野球選手権大会でも1回戦の米子東戦でリリーフ登板、3回戦の星稜戦は先発し、奥川恭伸と投げ合った。2年秋からエース[3]。3年夏の甲子園交流試合では6回からリリーフ登板し、3イニングを2安打無失点に抑え、自己最速に迫る151km/hを計測した[4]。
2020年のドラフト会議で広島東洋カープから4巡目で指名を受け[3]、11月16日に契約金4000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した[5]。背番号は53[6]。
2021年は、11月1日のシーズン最終戦で先発としてプロ初登板を果たしたが、4回途中6失点で降板した[7]。オフに、現状維持となる推定年俸500万円で契約を更改した[8]。
2022年は、開幕ローテーション6番手を遠藤淳志と争うも[9]、最終的に遠藤が選ばれた[10]。5月に中継ぎとして1試合登板したものの、6月4日のファームでの試合中に、右肘を疲労骨折。以後は治療とリハビリに専念した[11]。
2023年は、1月に前年の疲労骨折が完治すると[11]、5月1日のウエスタン・リーグ中日ドラゴンズ戦で実戦復帰[12]。最終的にウ・リーグ16試合に登板、3勝3敗、防御率2.95の成績を残したが[13]、シーズン終了後の秋季キャンプ中に右肘を痛め離脱[14]、再び疲労骨折と診断され、骨移植手術を受けた[15]。
2024年は、8月にファーム復帰しウエスタン・リーグ18試合に登板、1勝2敗、防御率5.30の成績を残した[15][16]。10月29日に戦力外通告を受け[17]、11月18日に育成選手として再契約した。背番号は「129」に変更される[18]。
ストレートの最速は152km/hで、変化球はカーブ、スライダー、スプリット、チェンジアップ、ツーシームを投じる[19][3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.