小平神明宮
東京都小平市小川町一丁目にある神社 ウィキペディアから
東京都小平市小川町一丁目にある神社 ウィキペディアから
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.
明暦2年(1656年)、村の名主である小川九郎兵衛が、水利に乏しく生活に過酷な不住の土地であった当地の開拓を志した。小川村の開拓願いと同時に、村に移り住む人々の守護神をとの願いから、五千坪の土地を社地として、神明宮勧請の願いが出された。荒地の開墾は難航したが、小川村の開拓事業は順調に進んだ。5年後の寛文元年(1661年)に、西多摩郡の殿ヶ谷村(現・瑞穂町)鎮座の延喜内社(平安時代以前からの古社)、阿豆佐味天神社(あずさみのあまつかみのやしろ)の摂社、神明ヶ谷の神明社から分祠遷座された[2][3]
小川村— 『新編武蔵風土記稿 四十』多摩郡の三十二 「小川村」 内務省地理局 明治17年4月16日 抜粋
- 小川村は、郡の良にあり、村山郷に属せり。この村近き頃は野方領とも唱ふれとも、其實は前後の村と同じく山田領に係れり。東はこの村の新田に境ひ、南は南野中榎本戸に村の新田に接し、西は砂川芋窪高木の村々により、北は野口村に至れり、其間西方砂川村より(中略)小川九郎兵衛といへる人にて、郡内岸村に居りしよし。明暦年中、御代官今井九右衛門支配せしおり、武蔵野の内字石塔ヶ窪と號する所、開発せしことを訴たへ、御ゆるしを得て、遂に其功なりぬ(中略)。
神明社— 『新編武蔵風土記稿 四十』多摩郡の三十二 「小川村」 内務省地理局 明治17年4月16日 抜粋
- 除地一町六段六廿歩、村内の鎮守なり。本社六尺四方、南向拝殿二間半に、五間鎮座の初を詳にせす。神髄白幣、例祭九月十九日、神主は郡内殿ヶ谷村阿豆佐美天神の神主宮崎某配下、宮崎加賀といへり。