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中華民国の省 ウィキペディアから
察哈爾省(チャハル-しょう)は中華民国にかつて存在した省。省名はモンゴル族の部族名チャハルに由来する。塞北四省の一つである。現在は内モンゴル自治区、北京市及び河北省に分かれる。
東は熱河省及び遼北省、西は綏遠省及び山西省、南は河北省、北は蒙古地方と接していた。
省内は万里の長城を境に察南と察北に分かれていた。
中華民国建国当初は清代の行政機構が踏襲されたが、1914年(民国3年)6月、省級行政区画として察哈爾特別区域が設置された。察哈爾都督公署は張北県に置かれた。
1928年(民国17年)9月5日、国民党中央政治会議第153回会議で察哈爾特別区域を察哈爾省と改編することを決定、11月1日に万全県にて察哈爾省政府が正式に発足し、初代省政府主席に趙戴文が就任した。
1935年(民国24年)末、日本軍が省域を占領、1937年から1945年までは日本の勢力下に置かれ、デムチュクドンロブを主班とする蒙古聯合自治政府の版図に含まれた。日本の進出に対し、1933年3月26日に馮玉祥と吉鴻昌により察哈爾民衆抗日同盟軍が張家口市で組織されている。
1945年(民国34年)、日本の敗戦にともない中華民国は施政権を回復したが、国共内戦の結果1948年(民国37年)12月24日に中国共産党により張家口が解放され、中華民国は実効支配権を喪失した。
中華人民共和国成立直前、下部に1市19県を管轄した。
前の行政区画 察哈爾特別区 |
内モンゴル自治区の歴史的地名 1928年 - 1948年 |
次の行政区画 冀熱察行政区 |
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