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日本のハンマー投げ選手、コーチ ウィキペディアから
室伏 重信(むろふし しげのぶ、1945年〈昭和20年〉10月2日 - )は、日本の元陸上競技選手、陸上競技指導者。専門はハンマー投で、男子同種目・前日本記録保持者。中京大学名誉教授。 2004年アテネオリンピックハンマー投金メダリストの室伏広治と、女子ハンマー投日本記録を長年保持していた室伏由佳の実父である。重信は息子の広治に次ぐ、日本歴代2位のハンマー投記録保持者。
日本大学経済学部卒業。 大昭和製紙に所属。 オリンピック日本代表4回、アジア大会5連覇、日本選手権10連覇などの金字塔を打ち立て「アジアの鉄人」とうたわれた[2]。
重信がマークした75m96の日本記録は、1998年に息子の室伏広治に破られたが、広治に次ぐ日本歴代2位である。 1984年に重信がハンマー投の日本記録をマークして以降、重信から広治へと室伏親子が日本記録を保持し続けている。また、娘(広治の妹)の室伏由佳は女子ハンマー投の日本歴代2位の記録保持者である。
指導者としてアテネオリンピック男子ハンマー投金メダリストとなった息子の広治を始め、1998年長野オリンピックボブスレー代表の中村康夫、釜山アジア大会男子ハンマー投銀メダリストの土井宏昭、エドモントン世界選手権女子ハンマー投代表の綾真澄、自身の長女でアテネオリンピック女子ハンマー投代表の室伏由佳、富士通で活躍した植徹など、幾多の名選手を育成した。中京大学陸上競技部監督・アテネオリンピック日本選手団ヘッドコーチなどを歴任。
また幼少時代から相撲が好きであったため、大相撲力士に憧れていた。筋肉質で足腰が強かったため、中学3年の時点で相手になる人がいなかったと語っている[3]。昭和の大横綱双葉山定次(時津風)自らが重信に入門を勧め、力士になるつもりでいたが、母親に反対されたため、角界入りを断念したという逸話がある[4]。
外国人選手との体格の差を埋めるために重信が開発した投擲フォームである。現在では当たり前になったが、当時は一般的でなかったビデオによるフォームの確認を行いながら、人体についての専門書も読み、試行錯誤を繰り返し作り出した。体格の大きい選手は自らの背筋力でハンマーの遠心力に耐えて投擲ができるが、体格の小さい重信では自らの背筋力のみではハンマーの遠心力に耐えきれずに限界が来る。そこを後ろに倒れ込むようにしてカバーし、更に回転半径を大きくすることでハンマー先端の遠心力を増加させ、回転のスピードアップを可能にした。この技術は息子の室伏広治にも受け継がれ、広治のオリンピック、世界陸上選手権での金メダル獲得の一因となった。
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