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婦人民主クラブ(ふじんみんしゅくらぶ)は、日本の女性権利団体。過去の経緯から以下のようになっている。
本項では2について記述する。
1945年11月、宮本百合子、佐多稲子、羽仁説子、加藤シヅエ、松岡洋子、山室民子、山本杉、赤松常子の8人が呼びかけ人となり、婦人団体結成に向けた運動を開始[6][7]。準備会が重ねられ、1946年3月16日、「婦人民主クラブ」の創立大会が神田共立講堂で行われた[6][8][9]。初代委員長には松岡が就いた[10]。
1960年代に女性団体の政党系列化が進むなかで、路線問題をめぐって内部対立が生まれる。
1970年6月6日、7日に行われた第24回大会で、主流派・反主流派に分裂した。反主流派である親日本共産党派の中央委員16人、支部長7人は除名処分を受け、23の支部が解散させられた[11][12]。同年6月28日、反主流派22支部会員が集まり「婦人民主クラブ再建連絡会」が結成された[1]。代表には色部百合子が就いた[11]。
1984年、婦人民主クラブ再建連絡会が再分裂し、「婦人民主クラブ全国協議会」が新たに結成された[4]。婦人民主クラブ全国協議会は中核派系とされる[5]。
1986年、「婦人民主クラブ再建連絡会」は「婦人民主クラブ(再建)」と改称した。2006年11月に行われた全国大会で、「(再建)」を取り、名称を元の「婦人民主クラブ」に改称することを決めた。
主流派は「婦人民主クラブ」の名のまま活動を続け、1991年に「ふぇみん婦人民主クラブ」と名乗るようになった[9]。
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