太櫓郡
日本の北海道(後志国)檜山支庁にあった郡 ウィキペディアから
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日本の北海道(後志国)檜山支庁にあった郡 ウィキペディアから
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、久遠郡せたな町の一部(北檜山区のうち北檜山区共和・北檜山区栄以南)にあたる。
江戸時代、太櫓郡域は和人地となる。松前藩によってフトロ場所が開かれていた。
陸上交通は、渡島国から天塩国増毛郡への途上であったが、南の久遠郡へは太田山が難所となって陸路が途絶えており、安政年間に江差の商人鈴鹿甚右衛門と津軽の商人松前屋庄兵衛らが私費を投じセキナイから太田山を経てラルイシまでの12里(47.1km)の太田山道(国道229号の前身)を開削し通年の陸路での移動を可能とした。
江戸時代後期の文化4年太櫓郡域は天領とされたものの、文政4年には一旦松前藩の元に戻された。また、郡内の言代主神社は文政10年よりも前の創建である。安政2年再び天領となり津軽藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲し太櫓郡が置かれた。
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