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横浜市の橋 ウィキペディアから
大黒町北部は1928年(昭和3年)から1936年にかけて神奈川県により工業用地として埋め立てられ、戦後の高度経済成長に合わせて1955年から1961年にかけて横浜市により南側に拡張された[1]。さらにその南方に、1971年より島式の埠頭である大黒埠頭の埋立が始められた[2]。港湾の物流を担うべく、1971年10月から3年の工期、総事業費約43億円を投じて大黒町と大黒埠頭の間に建設され、1974年10月に竣工した。主塔と橋桁は、当初は朱色に塗装されていたが90年代後半に白色へ塗装が変更される。1989年には、東側に隣接して首都高速神奈川5号大黒線が開通した。
大黒町側から2径間のPC桁、3径間連続鋼桁、2径間の斜張橋、3径間連続鋼桁、あわせて10スパンで構成される。ケーブルは門型の主塔から2面、2本ずつファン型に張られ、計8本で橋桁を支える。斜張橋部分の支間長は、大黒町側が100.5m、大黒埠頭側が165.38m。上部構造は、車道は各車線幅3.25mで、往復各2車線。両側に幅2mの歩道が付設されている。路側帯や中央分離帯を含め、総幅員は20.2m。航路限界は、大黒町側が幅63m、大黒埠頭側が幅92m、高さは20.5mが確保されている[3]。
西側に開けており、横浜港や横浜みなとみらい21越しに富士山や丹沢山地を望むことができる。3月7~8日頃と10月5~6日頃の日没時にはダイヤモンド富士が見られる[4]ことから、「鶴見川からの富士」のスポットの一つとして関東の富士見百景に選定された[5]。大黒町側の「大黒大橋」バス停へは、鶴見駅前と大黒埠頭方面を結ぶ横浜市営バス(17系統)のほか、平日朝夕を中心に生麦と横浜さとうのふるさと(太平洋製糖横浜工場。企業博物館は2004年閉館)を結ぶ便(横浜市営バス181系統)が運行されている。橋は駐停車禁止場所に指定されている。
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