大村松二郎
日本の海軍軍人 ウィキペディアから
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大村 松二郎(おおむら まつじろう、1851年〈嘉永4年〉[1] - 1879年〈明治12年〉12月25日[1])は、日本の海軍軍人。階級は少佐。政治家の大村益次郎の養子であり、山本藤右衛門の子である[1]。
嘉永4年(1851年)に武士・山本藤右衛門の子として生まれる[1]。大村益次郎の養子となり、益次郎の死後、明治2年(1869年)12月20日に大村家を継ぐ[2]。アメリカ合衆国に留学し、海軍兵学校で学んだ後、明治6年(1873年)にイギリスに留学。プリマスを拠点として学んだ。また(1877年)の西南戦争の初め頃に帰国[2]。神戸において海軍少佐となり、4月16日に従六位に叙される[2]。筑波、次いで乾行に乗船した後、孟春の艦長となる[2]。明治12年(1879年)に勲五等双光旭日章を受章[2]。同年12月25日に海軍病院で病没[2]。享年28。
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