埼玉県庁舎
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埼玉県庁舎(さいたまけんちょうしゃ)は、埼玉県さいたま市浦和区に所在する広域自治体である埼玉県の庁舎の総称。埼玉県庁。
埼玉県庁舎 | |
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情報 | |
用途 | 行政庁舎 |
主構造物 | 行政庁舎、警察本部庁舎、議会議事堂 |
建築主 | 埼玉県 |
事業主体 | 埼玉県 |
管理運営 | 埼玉県 |
竣工 | 1955年(昭和30年)10月 |
所在地 |
〒330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 |
位置 | 北緯35度51分26秒 東経139度38分56.9秒 |
第一庁舎(県庁)、第二庁舎(埼玉県警本部)、第三庁舎、議会議事堂(埼玉県議会)、職員会館、衛生会館、別館、危機管理防災センターから構成される。
1869年(明治2年)9月29日に浦和県が置かれ、浦和県庁舎は現在地に置かれた。その後岩槻県と忍県との合併により埼玉県が誕生し、埼玉県庁舎となった。
先代の県庁舎は現在の第一庁舎の場所にあったが、1948年(昭和23年)に放火で焼失した。10月25日午後11時50分ごろ、県庁舎の新館2階の消防課付近から出火し、本館に燃え広がったあと、別館など8棟を焼失させた。消失面積は約7000平方メートルに及び、重要書類がほぼ消失、県庁機能を失った。
その3日後、すぐに県庁の移転先として大宮市(現さいたま市)、熊谷市がそれぞれ提案し、浦和市の現地再建派と対立した。放火以前から、移転を主張する一部の強硬な団体などが存在しており、県庁移転目的の放火も疑われたが、11月12日に火元の消防課会計係員の24歳の男を逮捕した。当初は犯行を強く否認していたが、一転自供し、1951年1月に懲役12年の実刑を言い渡された。
ところが、仮釈放中の同年に法務大臣、浦和警察署、浦和地検検事正宛てに「私は無罪」という遺書を残し、水戸市内の山中で服毒自殺したため、真相は分かっていない。また、この件で当時の県知事である西村実造の責任問題へ発展し、辞表を提出する事態となったが、埼玉軍政部に忠告されて撤回した[1]。
結局移転問題は、埼玉県議会に設置された県庁舎建設特別委員会まで持ち越され、1950年(昭和25年)3月23日、浦和に存続することが決まった[2]。移転問題に決着がついたことで庁舎の再建が始まり、1955年10月に現在の第一庁舎が完成した。
その20年後には、庁舎が手狭になったことから第二庁舎が建設された。第二庁舎の場所は、以前は官舎が建ち並んでおり、北側に県庁の裏門があったことから、現在でもこの通りを「裏門通り」と呼んでいる。なお、第一庁舎と第二庁舎は距離があるため、双方の3階を繋ぐ長い連絡通路が設置されている。
県庁周辺には、埼玉県衛生会館、埼玉県自治会館(閉鎖し駐車場になった)、埼玉県農林会館、職員会館、埼玉県危機管理防災センター、埼玉県県民健康センターなどがある。
県庁舎は耐震補強を行ったものの、2030年代には目標使用年数を超える。そのため、埼玉県議会は2019年6月27日、県庁舎建て替えへ向けて、賛成多数で特別委員会を設置した[3]。 特別委員会では、現在県の他の部署との合同庁舎状態となっている埼玉県警察本部は独立庁舎が望ましいとの答弁があった[4]。
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平日はなるべく公共交通機関の利用を呼び掛けている。
埼玉県庁舎は、正面玄関の重厚な造りが映画・ドラマ制作関係者の間で評判となっており[10]、主に裁判所や省庁、警察署などの役所系の設定で登場することが多い[11]。
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