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1915-2010, 萩焼の伝統名跡の陶芸家 ウィキペディアから
13代坂田 泥華(13だい さかた でいか、1915年11月10日 - 2010年2月24日)は山口県長門市深川にて代々継承されている萩焼の伝統名跡名家陶芸家の名。本名を一平。山口県長門市出身。萩商卒。12代坂田泥華(本名:浩三)の長男。
坂田家は萩焼の始祖である李勺光(りしゃくこう)の流れをくむ家柄で、深川萩四家の一つ。(深川萩四家とは現在、坂田泥華窯の他、坂倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、新庄助右衛門窯の四窯元がある)1950年(昭和25年)萩焼深川(ふかわ)窯の当主13代泥華を名のる(窯は長門市深川にある)。戦後の昭和萩陶芸史を語る上で、萩焼を担う中心人物の一人で特に井戸茶碗に研鑽を積み、「泥華井戸」と称されるおおらかで伸びのある独自の優雅な作風を確立。井戸茶碗の魅力を十分に熟知し温かみのある釉を施した茶碗などには、泥華特有の轆轤造形がある。他には焼成時に釉薬を剥ぎ取る事により御本風の柔らかい斑文を表現した剥離釉等、新技法にも取り組んだ。なお1950年に13代泥華を襲名しているが、2004年に長男の坂田慶造が早世したため、彼に15代坂田泥華を追贈し、14代坂田泥珠と号す。号を天耳庵、隠居後の名を泥珠と号す。
13代泥華の一人息子の長男、坂田慶造は14代泥珠(13代泥華と14代泥珠は同一人物である)の始めた剥離釉窯の技法を受け継ぎながら彼独自にその技法を発展させた。次期泥華襲名予定であった坂田慶造は2004年(平成16年)5月に54歳で逝去。慶造の父である13代泥華は次期泥華襲名予定だった慶造に贈名として15代坂田泥華を襲名させた。16代坂田泥華を誰が名乗るのかは不明である。
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