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台湾の歌手、俳優 ウィキペディアから
周 杰倫(ジェイ・チョウ、しゅう けつりん[2]、Jay Chou、1979年1月18日 - )は台湾出身の歌手、俳優、作曲家、作詞家。若者を中心に中華圏で絶大な人気を誇る。台湾で2000年11月にアルバム『Jay』でデビュー。現在は、中国、日本、韓国、東南アジアなどで活躍する国際的な歌手であり、楽曲提供、プロデュースなどもこなす。2022年の年収は約22億元(約451億円)で、芸能人(香港・台湾を含む)収入ランキング1位であった[3]
周 杰倫 ジェイ・チョウ | |
---|---|
基本情報 | |
繁体字 | 周 杰倫 |
簡体字 | 周 杰伦 |
漢語拼音 | Zhōu Jiélún |
注音符号 | ㄓㄡㄐㄧㄝˊㄌㄨㄣˊ |
生誕 |
1979年1月18日(45歳) 中華民国 台湾省台北県林口郷 (現:新北市林口区) |
別名 | 周董(President Chou) |
英語名 | Jay Chou |
職業 | 作曲家、歌手、俳優、司会者、映画監督 |
ジャンル | C-POP、ヒップホップ、ラップ、リズム・アンド・ブルース |
担当楽器 | ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ドラム、古筝 |
レーベル |
Sony BMG Asia (2008年-) JVR Music (2007–) Alfa Music (1999–2007) A-Sketch |
活動期間 | 2000 - |
配偶者 |
昆凌(結婚 2015年) [1] |
子供 | 3 |
公式サイト |
www |
1997年、呉宗憲(ジャッキー・ウー)が司会を務める素人参加番組に、同級生の伴奏としてピアノを演奏したところ、呉が音楽的才能を見抜き、音楽界に進む事を勧めた。しかし呉は、周杰倫の容姿を見てすぐに人気が出るとは考えなかった為、まずは作曲家として活動する事になった。
周杰倫の作曲した曲は、徐若瑄(ビビアン・スー)、王力宏(ワン・リーホン)など数々の有名な歌手に提供され、いずれもヒットし、その才能を示した。やがて、自ら作曲した曲をレコーディングしたところ、関係者の評判が良かった事から歌手デビューする事となり、2000年に『Jay』でデビュー。デビュー後は、逆に徐若瑄(ビビアン・スー)が「可愛女人」や「竜巻風」などの作詞を担当。独自のスタイルと洗練された楽曲で、たちまち人気歌手となる。歌手としてデビュー後も、引き続きイーソン・チャン、F4の周渝民(ヴィック・チョウ)、蔡依林(ジョリン・ツァイ)、S.H.E、陳冠希(エディソン・チャン)、羅志祥(ショウ・ルオ)、南拳媽媽、浪花兄弟、温嵐(ランディー・ウェン)、SUPER JUNIOR-M、陳小春(ジョーダン・チャン)、許茹芸(ヴァレン・スー)、江蕙(チァン・ホイ)、香港映画スターの劉徳華(アンディ・ラウ)、郭富城 (アーロン・クオック)、余文楽(ショーン・ユー)等、多数のアーティストに楽曲を提供している。2001年にリリースした2枚目のアルバム『范特西』においては、台湾のグラミー賞と言われている金曲獎にて、「最優秀作曲賞」、「最優秀プロデューサー賞」、「最優秀アルバム賞」の3賞受賞。その他数々の賞を各地で受賞。ミュージシャンとしてトップに上りつめる。デビュー時より、年に一枚アルバムを発売するというペースが続いている。
2003年には『TIME』誌の表紙を飾り、「NEW KIND OF ASIAN POP」と説明を添付した。[10][13]
2005年、香港映画『頭文字D THE MOVIE』の主演で本格的な映画デビューを果たし、俳優業にも進出。日本では2006年2月5日・6日に東京国際フォーラムにおいて、初のコンサート『〜無與倫比〜Jay Chou Live Concert in Japan』を行った。2007年には、『言えない秘密』で映画監督デビュー。原作、主演、劇中音楽、主題歌も担当した。同年4月24日の上海でのコンサートでは、チケット5万6000枚を売り上げており、同会場でのジャッキー・チュンやアンディ・ラウの集客数を超え、過去最多集客数を記録している。
2008年、復旦大学傘下の英皇表演芸術学院で「芸術指導員」を務めることが決まる。学院側は当初客員教授として周杰倫を招きたいと考えたが、多忙な周には客員教授の仕事は無理だという事で、「芸術指導員」という形での依頼となった。なお、同学院では徐克(ツイ・ハーク)が客員教授に、李安(アン・リー)が名誉教授に任命されている[14]。同年2月16日・17日には本人の夢が叶い、日本武道館でのコンサートを開催。武道館コンサートは中華系アーティストとしては鄧麗君(テレサ・テン)、王菲(フェイ・ウォン)につづき三人目。初日のチケットは即日30分で即完売。コンサートでは中島美嘉の「雪の華」のピアノ弾き語りや、津軽三味線演奏も披露した。同年5月、千山万水を公開した。
2009年、“台湾の星”として台北県の教科書で紹介されることが発表される[15]。同年1月26日、旧正月の大型年越番組「春節聯歓晩会」に出演。周杰倫が出演した場面が、瞬間最高視聴率を記録。視聴率は95.6%であった[16]。12月15日、米CNNテレビが発表した「アジアで最も影響力のある人物25人」の中で、台湾からは唯一周が選ばれた。他の24人には、大リーガーの松井秀喜選手、当時の首相鳩山由紀夫氏等が選ばれている[17]。
2010年、『グリーン・ホーネット』で俳優としてハリウッド映画デビュー。セス・ローゲン、キャメロン・ディアスらと共演。かつて故ブルース・リーが演じたカトー役を演じる。同映画の主題歌も担当[18]。同年、中国でのCM契約が33社となり、中華圏芸能人のCM数の新記録を達成した。そのうち8社の契約料は、「それぞれ1000万元(約1億4000万円)を超える」とされており、「ジェイはまるで動く札束印刷機」と中国メディアが報じている[19]。同年5月29日、米ビジネス誌『Fast Company』が選ぶ「ビジネスシーンで最もクリエイティブな100人」に、米人気歌手のレディー・ガガやジェイ・Zとともに、周杰倫が中華圏の歌手として唯一選ばれた。歌手部門で選ばれたのはこの3名のみ[20][21]。10月28日、フォーブス中国語版では、中華圏における「2010年もっとも有名なセレブリティ・ランキング」に、香港の成龍(ジャッキー・チェン)に続き、2位に周が選出された。3位以下には香港の俳優、劉徳華(アンディ・ラウ)、バスケットボールの姚明(ヤオ・ミン)選手、章子怡(チャン・ツィイー)らが続いた[22]。
2011年3月20日には東日本大震災に向けたチャリティーオークション「救災兔gether-公益網拍」に参加している[23]。周杰倫は東日本大震災の直後にも金額非公開で義援金を送っている[24][25](中華圏では災害のたびに義援金ランキング等が作られたり、売名と非難されたりするため、金額を非公開とする有名人が多い[26])。同年4月20日、『TIME』誌による「世界で最も影響力のある100 人」オンライン投票で、2位に選ばれる[27]。6月26日、東京国際フォーラムでファンミーティングを開催。この日の収益は開催コストを除き、残りすべては東日本大震災の被災地救援のため寄付するとのこと[28]。6月29日、パソコン世界大手の華碩電脳(ASUS)とのコラボレーションパソコンが中華圏17億人市場を狙って発売されることが発表される。ジェイが外観デザインを担当し、起動時やシャットダウンの音に彼の曲を使い、アルバム4枚も標準内蔵[29][30]。
2019年9月16日に、配信シングル「泣かないと約束したから」(ft.アシン)をリリースした。MVは日本で撮影され[31]、渡邊圭祐と三吉彩花が出演した。このシングルがリリースされるとアクセスが集中し、QQ音楽のサービスが一時的にサーバーダウンした[32]。2020年6月12日、「Mojito」(モヒート)がリリースされると、再びQQ音楽がサーバーダウンした[33]。
台湾でのデータ
日本でのデータ
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