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南北朝時代の武将。後期東条吉良(下吉良)氏の祖・初代。三河東条城主。中務大輔 ウィキペディアから
吉良 尊義(きら たかよし)は、南北朝時代の武将。後期東条吉良(下吉良)氏初代。三河国東条城主。
吉良満義の子[2]として誕生。当初は義貴を名乗ったが足利尊氏より偏諱を受け尊義と名乗る。
奥州(武蔵)吉良氏(前期東条吉良氏)の吉良貞家・満家父子が陸奥国に去った後、東条の地は惣領家である西条吉良氏領となり、吉良満義が東条城を接収した。その後、尊義が生まれるが、間もなく観応の擾乱が勃発し、父・満義と長兄・満貞は足利直義派として各地を転戦、直義の死後はその養子・直冬や南朝と結んで尊氏に敵対した。
正平11年/延文元年(1356年)に満義が没すると、東条の被官層は9歳の尊義を奉じて尊氏派に転じ、新たに東条吉良氏として独立する。これを押領とする満貞との間で合戦に及ぶが、その後、満貞の北朝帰順もあり、和談が成立、尊義は正式に東条相続を認められる。しかし、尊義独立の際の争いは禍根を残し、室町時代を通じて西条・東条両吉良氏は対立・抗争を繰り返すこととなった。
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