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日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
吉持 亮汰(よしもち りょうた、1993年11月4日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
堺市立金岡南小学校1年時から金岡ジュニアパイレーツで野球を始め、金岡南中学校では軟式野球部に所属した[1]。
広陵高校進学後は、2年時に1学年先輩の有原航平を擁し第82回選抜高等学校野球大会、第92回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、ベンチ入りはできなかった。2年秋からサードでレギュラーを獲得するも、3年の夏は広島県大会3回戦で近大福山高校に敗れた。野球部同期に上原健太、1学年後輩に佐野恵太がいる。
大阪商業大学に進学すると、関西六大学リーグ戦では1年春から出場機会を得て、2年の春と秋にはサードでベストナインを獲得[2][3]。2年の秋は第7節3回戦で京産大を5-0で下し、全チームから勝ち点を挙げる完全優勝での大商大42季ぶりの優勝に貢献した[4]。4年の春には打率.439で首位打者を獲得し[5]、ショートで初のベストナインに輝いた[6]。第64回全日本大学野球選手権大会では打率.667、出塁率.750、4盗塁を記録し、大商大32年ぶりのベスト8に貢献した[7]。4年の秋には関西六大学史上2人目のリーグ通算60盗塁を記録[8]。リーグ記録の65盗塁は超えられなかったが、最終的に62盗塁を記録し[9]、4度目のベストナインも獲得した[10]。関西地区大学野球選手権大会では奈良学園大学に敗れ、明治神宮大会出場は叶わなかった。大学4年間でのリーグ通算成績は、90試合出場で、打率.263、312打数82安打、30打点、62盗塁だった[11]。野球部には2学年先輩に桂依央利、橋爪大佑、近藤大亮、1学年先輩に金子丈、同期に岡田明丈、3学年後輩に太田光、滝野要がいる。
2015年10月22日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから2位指名を受け、11月21日に契約金7000万円、年俸1200万円(金額は推定)という条件で入団した[1]。背番号は2。
2016年は、1月の新人合同自主トレ中に急性胃腸炎に感染したことと、大学の試験が重なったことで、春季キャンプに出遅れ二軍スタートとなったが、すぐに一軍に合流すると[12][13]、オープン戦の終了まで帯同。3月中旬の時点で打率が3割台に達する[14]ほど好調だったが、公式戦の開幕を一軍で迎えるまでには至らなかった[15]。それでも4月19日に一軍昇格を果たすと[16]、翌20日の対オリックス・バファローズ戦(楽天Koboスタジアム宮城)で、延長12回裏に枡田慎太郎の代走として一軍にデビュー。その後も数試合に出場後、5月5日に登録抹消[17]。同26日に再び一軍昇格すると[18]、翌27日の対北海道日本ハムファイターズ戦(Koboスタ宮城)で「2番・二塁手」として先発出場し、4回裏の第2打席で吉川光夫から一軍での初安打を放った[19]。NPBの一軍公式戦では48年ぶりに、同一チームの新人野手4人(吉持・オコエ瑠偉・茂木栄五郎・足立祐一)がスタメンに名を連ねた5月31日の対阪神タイガース戦(Koboスタ宮城)では、一軍で初めての複数安打(1試合2安打)を記録した[20]。しかし、6月19日には、シーズン2度目の出場選手登録抹消。6月28日には、読売ジャイアンツとのイースタン・リーグ公式戦(コボスタ宮城)6回裏の打席で死球を受けたことによって、右尺骨の茎状突起を骨折した[21]。全治におよそ2か月を要したこと[22]などから、シーズン中の一軍復帰はならなかった。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦21試合の出場で、打率.161、1打点、1盗塁でシーズンを終えた。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出された[23]。同大会では優勝を果たした[24]。
2017年は、二軍では打率3割を記録するが、7月には右手首の手術を受け、14試合の出場にとどまり、一軍出場はなかった[25]。
2018年は、怪我により一軍出場がなく、二軍でも1試合のみの出場に留まり[26]、10月29日に戦力外通告を受けた[27]。その後、11月16日に育成選手として再契約した[26]。背番号は008。
2019年は、イースタン・リーグ44試合の出場で打率.137、0本塁打、14打点に留まり[28]、支配下登録に復帰することはできなかった。10月31日に、育成選手の規定により自由契約となったが[29]、11月19日に再契約した[30]。
2020年は、イースタン・リーグ53試合の出場で、打率.253、0本塁打、6打点の成績だった[31]。この年も一旦自由契約となったが[32]、12月8日に育成選手として再契約した[33]。
2021年は、イースタン・リーグ88試合の出場で、打率.224、1本塁打、15打点の成績だった[34]。前年までと同様、自由契約となった後[35]、12月9日に育成選手として再契約した[36]。
2022年は、イースタン・リーグ56試合の出場で、打率.292、0本塁打、5打点の成績だった[37]。シーズンオフの10月11日、翌年の育成再契約を行わないと通告され、退団した[38]。
50メートル走は5秒68、右打者ながら一塁到達タイムが4秒1の俊足に加え、遠投125メートル、投手としても最速146km/hを投げるなど高い身体能力を誇る[1]。大学時代には、リーグ戦へ登板したこともあった[9]。
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