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古荘 四郎彦(ふるしょう しろひこ、1884年(明治17年)7月18日 - 1967年(昭和42年)10月24日)は、日本の銀行家。初代千葉銀行頭取、千葉工業大学理事。千葉銀行レインボー事件で有罪となった。熊本県熊本市出身。陸軍大将の古荘幹郎はいとこ。
熊本藩士・古荘幹実の四男として生まれる[1]。第五高等学校 (旧制)を経て、1912年(大正元年)東京帝国大学独法科を卒業、帝国商業銀行(後の富士銀行)に入行する。支配人まで昇進したのち、1923年(大正12年)に、帝大同窓の業界仲間で親しい友人の河合良成の紹介で、河合の弟の岳父川崎八右衛門 (2代目)が経営する川崎銀行の営業局長代理に転進[2]。1925年(大正14年)には川崎系の房州銀行と安房銀行が合併して発足した安房合同銀行の常務に就任する。その後、安房合同が合併した千葉合同銀行の頭取を経て、1943年(昭和18年)千葉合同、第九十八、小見川農商の各行の合併で発足した千葉銀行の初代頭取に就任する。
当初は堅実な融資態度で「堅物頭取」として有名だったと伝えられるが、次第にワンマン的な姿勢へと変質していった。数多くの政治家絡みの情実融資を独断専行で乱発したほか、横井英樹の白木屋乗っ取りにおいて横井側への資金提供で関与したとされる。1958年(昭和33年)、銀座のレストラン「レインボー」マダムの坂内ミノブへの10数億円もの不正融資した千葉銀行レインボー事件が発覚して頭取を退任、特別背任罪で起訴され[3]、1961年(昭和36年)東京地裁は懲役3年・執行猶予3年の判決を下し確定する。
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