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北海における大陸棚の境界画定を巡って西ドイツ、デンマーク、オランダが争った国際紛争 ウィキペディアから
北海大陸棚事件(ほっかいたいりくだなじけん、英語: North Sea Continental Shelf Cases、フランス語: Affaires du plateau continental de la mer du Nord)は、北海における大陸棚の境界画定を巡って西ドイツ、デンマーク、オランダが争った国際紛争である[1]。
1967年2月20日に、この3カ国は紛争を国際司法裁判所(ICJ)に付託することで合意し、1969年2月20日に判決が下された[1]。大陸棚の境界画定について定めた大陸棚条約第6条の等距離基準が同条約に加盟していない西ドイツに対して適用されるかが争点となったが、ICJはこれを否定し、境界画定は関連するすべての状況を考慮に入れて衡平な結果を実現できるように合意によって行われなければならないとし[2]、当事国に対し誠実に交渉を行うことを命じる判決を下した[3]。
ひとつの大陸棚を隔てて複数の国が向かい合っているか、またはひとつの大陸棚に面して複数の国が隣り合っている場合、大陸棚に埋蔵する資源の配分とも絡みそれらの国々にとって大陸棚の境界画定は重要な問題となる[5]。1958年に第1次国連海洋法会議で採択された大陸棚条約第6条は、この大陸棚の境界画定に関し以下のように定めた。
1. 向かい合っている海岸を有する二以上の国の領域に同一の大陸棚が隣接している場合には、それらの国の間における大陸棚の境界は、それらの国の間の合意によつて決定する。合意がないときは、特別の事情により他の境界線が正当と認められない限り、その境界は、いずれの点をとってもそれらの国の領海の幅を測定するための基線上の最も近い点から等しい距離にある中間線とする。
2. 隣接している二国の領域に同一の大陸棚が隣接している場合には、その大陸棚の境界は、それらの国の間の合意によって決定する。合意がないときは、特別の事情により他の境界線が正当と認められない限り、その境界は、それらの国の領海の幅を測定するための基線上の最も近い点から等しい距離にあるという原則を適用して決定する。
3. 大陸棚の境界を画定するにあたり、1及び2に定める原則に従って引く線は、特定の日に存在する海図及び地形に照らして定めなければならず、また、陸上の固定した恒久的な標点との関連を明らかにしたものでなければならない。 — 大陸棚条約第6条[6]
大陸棚の境界線を「いずれの点をとつてもそれらの国の領海の幅を測定するための基線上の最も近い点から等しい距離にある中間線とする」原則を等距離原則といい、大陸棚条約第6条によれば、大陸棚の境界線は関係国の「合意」によって決定されることとされ、その「合意」がない場合には「特別の事情」がない限り大陸棚の境界画定はこの等距離原則に基づいてなされることと定められた[7]。この大陸棚条約は1963年6月12日にデンマークが、1966年2月18日にオランダが、それぞれ批准したが、西ドイツは批准しなかった[8]。北海に面する国々は、例えばイギリス=ノルウェー間、イギリス=デンマーク間、イギリス=オランダ間、ノルウェー=デンマーク間などで、大陸棚境界線を中間線とする2国間条約が締結されていったが、北海海岸が隣接する西ドイツ、デンマーク、オランダの3国間では合意に至ることができなかった[9]。そこで1966年3月、デンマークとオランダは両国間の大陸棚境界画定を等距離原則に基づいて行うことを定めた2国間条約を締結し、この2国間条約に基づく等距離中間線(右図中のE-F)が西ドイツに対しても有効であると主張した[4]。この境界線は、海岸線が凹型に湾入する西ドイツにとって不利なものであった[10]。そのため西ドイツは第三国である西ドイツに2国間条約に基づくこの等距離中間線は無効であると主張し、その後も3カ国間で交渉が行われたが、結局当事国の間で合意に至ることはできなかった[4]。そこで西ドイツとデンマーク、そして西ドイツとオランダは、それぞれ2国間で特別合意を行いそれぞれ別個に、「各国に属する北海大陸棚の境界画定に適用される国際法の原則と規則は何か」について、国際司法裁判所(ICJ)に判断を求めたのである[4][10]。
訴訟は西ドイツとデンマーク間の特別合意と西ドイツとオランダ間の特別合意により、それぞれ2国間で別個に付託されたものであったが、ICJは1968年4月26日の命令によってこれらふたつの訴訟を併合した[4]。
大陸棚条約第2条[6] |
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判決多数意見は以下の通り。
判決の後3カ国は外交交渉を行い[17]、1971年1月28日に判決に示された大陸棚境界画定の原則に従った合意を定めた西ドイツ=デンマーク間と西ドイツ=オランダ間の2国間条約がそれぞれ締結された[18]。この合意で境界線は、西ドイツに対し北海の中心部分まで大陸棚を認める代わりに、デンマークとオランダの大陸棚を西ドイツ側にくい込ませる形状となった[17](右記地図参照)。
この北海大陸棚事件ICJ判決は、ICJにはじめて提起された大陸棚の境界画定に関する紛争であり[1]、大陸棚の境界画定に関するリーディングケースといえる判例である[13]。
ただし本件判決で示された、領土の自然の延長を各国にできるだけ多く割り当てる方法や、等距離原則に対する判断は本件の特有のものといえる[17]。その後海域の境界画定に関する紛争は多発しこの分野に関する判例が蓄積されていくが、そうした判例に見られるのは、境界画定は問題となる海域の特徴を個別具体的に考慮して行うよりほかなく、境界画定のために一般的に適用される規則をあらかじめ特定することはしない、ということである[17]。
そのためリーディングケースといえども、本件でICJが示した原則は本件にのみ特有のものであり普遍的なものとはいえない[17]。北海大陸棚事件ICJ判決後の1973年から行われた第3次国連海洋法会議では、排他的経済水域の境界画定問題も絡み、等距離中間線を基準とすべき等距離原則派諸国と、等距離中間線では不衡平な結果をもたらすため衡平原則に基づくべきとする衡平原則派諸国との間で激しい対立があった[19][20]。
北海大陸棚事件判決を受けて、国連海洋法会議では等距離原則と衡平原則双方の条文案が提案されたが、こうした条文案では合意に至ることはできなかった[20]。そこで同会議の結果、1982年に採択された国連海洋法条約第83条第1項では、結局以下のように境界画定が等距離原則に基づくべきか、衡平原則に基づくべきかを明示しない形のものとなった[19]。この国連海洋法条約第83条に言及される国際司法裁判所規程第38条とは、条約や慣習国際法などをさす[19]。
向かい合つているか又は隣接している海岸を有する国の間における大陸棚の境界画定は、衡平な解決を達成するために、国際司法裁判所規程第38条に規定する国際法に基づいて合意により行う。 — 国連海洋法条約第83条第1項[21]
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