北沢典子
1938-, 女優。 ウィキペディアから
1938-, 女優。 ウィキペディアから
北沢 典子(きたざわ のりこ、1938年3月15日[1] - )は、日本の女優である。本名は近藤 由紀子(こんどう ゆきこ)、結婚前本名は茂呂 由紀子(もろ ゆきこ)[2]。
1938年(昭和13年)3月15日、京都府京都市伏見区に生まれる。名古屋市立天神山中学校を卒業した。
1954年(昭和29年)、名古屋家政学園在学中に『婦人生活』の美人写真コンクールに友人が無断で応募したのがきっかけで、新東宝にスカウトされ同学を中途退学した。1955年(昭和30年)、第4期スターレットとして新東宝に入社。同期に三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、朝倉彩子らがいる。1956年(昭和31年)、香川京子、池内淳子主演の『何故彼女等はそうなったか』に本名の茂呂由紀子でデビュー[2]。同年の『女競輪王』から北沢典子を芸名とする。主に時代劇を中心に多くの作品に出演する。
1960年(昭和35年)、フリーランスとなったが、翌1961年(昭和36年)、東映に入社。東映でも時代劇で活躍した。テレビドラマにも多数出演している。1962年(昭和37年)11月13日、当時プロ野球・大洋ホエールズの選手だった近藤昭仁と結婚した。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属[1]。愛称は「てんこ」[3]。可憐な武家娘、町娘などをもっぱら演じる、いわゆるお姫様女優だったが、「日本映画史・新東宝編」(1980年櫂書房)では「しごけばしごくほど食らいついてくる、激しい気塊の持ち主だった」と紹介されている。
1980年(昭和55年)、木下惠介監督の『父よ母よ!』で久々に映画出演を果たした。自身の芸名を本名に名づけた娘の近藤典子も、モデルから女優になった。
2009年(平成21年)11月、東京・池袋の新文芸坐で開催された「萬屋錦之介生誕七十七年 錦之助映画祭り パート3」にトークゲストで登場し、トークショーの後には北沢のサイン会も開かれた。2010年(平成22年)11月23日、香川県高松市のアルファあなぶきホール(香川県民ホール)で開催された「さぬきえいがびと in 映画の楽校」のトークショーに出演した。
2017年(平成29年)2月3日に発売された「異端の映画史 新東宝の世界」(映画秘宝編集部・編 洋泉社)に、原知佐子、矢代京子らとの座談で当時の事を語っている。
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