北川知克

日本の政治家。環境副大臣 ウィキペディアから

北川知克

北川 知克(きたがわ ともかつ、1951年11月8日 - 2018年12月26日)は、日本政治家

概要 生年月日, 出生地 ...
北川 知克
きたがわ ともかつ
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2013年2月3日(61歳)
生年月日 (1951-11-08) 1951年11月8日
出生地 大阪府寝屋川市
没年月日 (2018-12-26) 2018年12月26日(67歳没)
死没地 大阪府吹田市
出身校 関西大学法学部法律学科
前職 北川石松衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党山東派麻生派
称号 正四位
旭日重光章
親族 父・北川石松(元衆議院議員
兄・北川法夫(元寝屋川市長)

選挙区比例近畿ブロック→)
大阪12区
当選回数 6回
在任期間 2003年7月16日 - 2009年7月21日
2012年12月17日[1] - 2018年12月26日
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衆議院議員(6期)、環境副大臣第2次安倍内閣)、環境大臣政務官第1次安倍内閣)、衆議院環境委員長などを歴任した。

父は環境庁長官衆議院議員を務めた北川石松。兄は大阪府議会議員、寝屋川市長を務めた北川法夫[2]

概要

大阪府寝屋川市生まれ。関西大学第一高等学校関西大学法学部法律学科卒業。大学卒業後は父・北川石松衆議院議員の秘書を務め、石松の環境庁長官在任中は秘書官も務める[3]

2000年第42回衆議院議員総選挙自由民主党公認で大阪12区から立候補したが、民主党前職の樽床伸二に敗れ、重複立候補していた比例近畿ブロックでも次点だったため復活できず、落選。2003年7月、前回総選挙において比例近畿ブロック単独で当選した奥谷通が死去したため、北川が繰り上げ当選した。同年11月の第43回衆議院議員総選挙では大阪12区で再び樽床に敗れ、比例復活により再選。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、樽床に比例復活を許さず、初めて大阪12区で当選した。2006年第1次安倍内閣環境大臣政務官に任命。2009年第45回衆議院議員総選挙では大阪12区で樽床に敗れ、比例復活もならず落選。

2012年第46回衆議院議員総選挙では、みんなの党公認の新人候補や現職の総務大臣だった樽床を大阪12区で破り[1]、国政に復帰(日本維新の会は、大阪12区には候補を擁立せず、みんなの党の候補を推薦した)。2013年9月、第2次安倍内閣環境副大臣に任命された。2014年第47回衆議院議員総選挙で樽床らを破り5選。2015年10月、自民党大阪府連会長への就任が有力視されるも、中山泰秀との選挙戦となり敗れた[4]2017年第48回衆議院議員総選挙日本維新の会藤田文武らを破り6選。

2018年12月26日20時8分、腹膜炎のため、大阪府吹田市の病院で死去[5][6]67歳没。死没日をもって叙正四位旭日重光章追贈[7]。死去に伴い、2019年4月21日執行の大阪12区補欠選挙に、自民党大阪府連は後継候補として甥(北川法夫の次男)の北川晋平を擁立した[8]が、藤田に敗れ落選した[9]

政策

選挙歴

さらに見る 当落, 選挙 ...
当落選挙執行日年齢選挙区政党得票数得票率定数得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第42回衆議院議員総選挙2000年06月25日48大阪12区自由民主党6万8773票36.78%12/4/
比当第43回衆議院議員総選挙2003年11月09日52比例近畿(大阪12区)自由民主党8万1270票44.05%12/3/
第44回衆議院議員総選挙2005年09月11日53大阪12区自由民主党10万8903票49.59%11/3/
第45回衆議院議員総選挙2009年08月30日57大阪12区自由民主党8万847票36.12%12/4/
第46回衆議院議員総選挙2012年12月16日61大阪12区自由民主党7万6972票39.91%11/4/
第47回衆議院議員総選挙2014年12月14日63大阪12区自由民主党6万8817票40.01%11/3/
第48回衆議院議員総選挙2017年10月22日65大阪12区自由民主党7万1614票45.04%11/3/
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  • 第42回は、後に奥谷通の死去に伴って比例ブロックで繰り上げ当選。

所属議員連盟

脚注

外部リンク

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