北小路 みほ(きたこうじ みほ、5月8日 - )は、元宝塚歌劇団花組組長。 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2022年12月) 一次資料や記事主題の関係者による情報源に頼って書かれています。(2022年12月)出典検索?: "北小路みほ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 京都府京都市、尚徳中学校出身。身長は158cm。愛称は「ポイ」。 略歴 1971年、57期生として宝塚歌劇団に入団。花組公演『花は散る散る/ジョイ!』[1]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は55人中15位[1]。1972年3月2日[1]に花組に配属。 1982年、東南アジア公演メンバーに選抜される。 1986年、花組の副組長に就任。 1990年、宝純子の退団により、花組組長に就任。 1991年11月30日[1]、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は『ヴェネチアの紋章/ジャンクション24』[1]の東京公演。 宝塚歌劇団時代の主な舞台歴 1975年7月、『ベルサイユのばら -アンドレとオスカル編-』新人公演:オルレアン公爵夫人(本役:淡路通子) 1976年2月、『あかねさす紫の花』新人公演:鸕野皇女(本役:島ゆり)/『ビューティフル・ピープル』 1976年8月、『うつしよ紅葉』新人公演:濃姫(本役:上原まり)/『ノバ・ボサ・ノバ』 1977年1月、『朱雀門の鬼』/『ル・ピエロ』新人公演:デコレーションの女(本役:恵さかえ) 1977年8月、『宝舞抄』新人公演:白き椿(本役:三鷹恵子)/『ザ・レビュー』 1978年2月、『風と共に去りぬ』新人公演:スエレン・オハラ(本役:北原千琴) 1978年4月、『ホフマン物語』(バウ)新人公演:アントニア 1978年4月、『風と共に去りぬ』(福岡特別)ファニー 1978年8月、『ヴェロニック』(バウ)ドゥニーズ 1978年9月、『遥かなるドナウ』ポーラ/『エコーズ』 1979年8月、『バウ・シャンソン・コンサート』 1979年9月、『ベルサイユのばら』(全国ツアー)ミレイユ 1980年5月、『花小袖』はな/『プレンティフル・ジョイ』 1980年11月、『友よこの胸に熱き涙を』ルイーズ/『ザ・スピリット』[2] 1981年8月、『YOU・ME』(バウ) 1981年10月、『エストリレータ』カロリーナ/『ジュエリー・メルヘン』 1982年6月、『エストリレータ』カロリーナ/『ファースト・ラブ』(全国ツアー) 1982年8月、『夜明けの序曲』お竜 1982年12月、『ザ・タカラヅカ』(東南アジア) 1993年2月、『霧深きエルベのほとり』ヴェロニカ/『オペラ・トロピカル』 1984年2月、『琥珀色の雨にぬれて』ソフィー/『ジュテーム』 1984年8月、『名探偵はひとりぼっち』マーガレット/『ラ・ラ・フローラ』 1985年3月、『愛あれば命は永遠に』ラコスト嬢 1985年5月、『榛名由梨ゴールデンタイムⅡ』(バウ) 1985年9月、『テンダー・グリーン』アヌーフ/『アンドロジェニー』 1986年4月、『微風のマドリガル』ドンニャ・ルクレシア/『メモリアール・ド・パリ』(東宝) 1986年6月、『真紅なる海に祈りを』カルパーニア/『ヒーローズ』 1987年2月、『遥かなる旅路の果てに』プローゾロフ侯爵夫人/『ショー・アップ・ショー』 1987年8月、『あの日薔薇一輪』パトリシア/『ザ・レビュースコープ』 1988年2月、『ベルベット・カラー』(バウ)パレット夫人 1988年3月、『キス・ミー・ケイト』ハッティ 1988年9月、『宝塚をどり讃歌 88』/『春ふたたび』かつら/『フォーエバー!タカラヅカ』 1989年1月、『会議は踊る』ユーリア大蔵大臣男爵夫人/『ザ・ゲーム』 1989年2月、『硬派・坂本竜馬!』(バウ)お登勢 1989年6月、『ロマノフの宝石』ワルター伯爵夫人/『ジダン・デ・ジタン』 1989年9月、『春ふたたび』かつら/『ザ・レビュースコープ 89』(全国ツアー) 1990年3月、『ベルサイユのばら - フェルゼン編 - 』シッシーナ伯爵夫人 1990年9月、『秋…冬への前奏曲』タチアナ/『ザ・ショーケース』 1991年2月、『小さな花がひらいた』(バウ・東京特別)お久 1991年6月、『ヴェネチアの紋章』メリーナ/『ジャンクション24』 *退団公演 1991年9月、『ベルサイユのばら』(全国ツアー)シッシーナ夫人 脚注 [脚注の使い方] [1]監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、82-83頁。ISBN 9784484146010 [2]1981年7月の東京宝塚劇場公演は、ショーが『ファースト・ラブ』に変更。 関連項目 京都府出身の人物一覧 Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.