トップQs
タイムライン
チャット
視点
剣岳吉五郎
ウィキペディアから
Remove ads
剣岳 吉五郎(つるぎだけ きちごろう、1896年1月1日 - 1950年4月19日)は、富山県富山市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五十里 吉次郎。身長174cm、体重94kg[1]。
経歴
富山県富山市出身。立浪部屋に入門し、1916年1月場所に初土俵を踏む。新十両が1925年5月場所、新入幕が1927年5月場所と、昇進のスピードは緩やかだったが、1928年には、大関大ノ里萬助や常陸岩英太郎からも勝ち星を挙げたり、新進気鋭の武蔵山武にも初顔から連勝したりと、時折存在感を示した[1]。その風格について「古武士」と評されたこともある。
右四つからの寄り、蹴返しなどを持ち味とした取り口であった[1]。
1932年1月場所の番付では、東前頭16枚目に位置していたが、その場所前に起きた春秋園事件で、協会を脱退[2][1]、天竜三郎たちと行動を共にし、以後相撲協会には復帰しなかった。最高位は東前頭2枚目だった。関西では、1936年、40歳まで現役にあった。
成績
- 幕内在位 18場所
- 幕内成績 62勝123敗2休
場所別成績
Remove ads
改名
出典
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads