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日本の歴史学者(イスラム史) ウィキペディアから
前嶋 信次(まえじま しんじ、1903年7月20日[1] - 1983年6月3日[2])は、日本のイスラム学者、東洋史家、東洋学者。慶應義塾大学名誉教授。
1903年、山梨県笛吹市八代町に生まれた[1][3]。山梨県立日川中学校[1]、東京外国語学校仏語科[1]を経て、東京帝国大学文学部東洋史学科に進んだ。当時は日本ではほとんど研究する者がなかったイスラム史を志し、アラビア語を学んだ。1928年に同大学を卒業[1]。
卒業後は、台北帝国大学助手や台南州立台南第一中学校教諭を務めた[1]。1940年、南満州鉄道東亜経済調査局に勤勤[1]。このことで厖大なイスラム文献を自由に手に取り研究する機会を得た。
1953年、学位論文『東西交渉史上におけるイスラム教徒勢力の消長に関する研究』を慶應義塾大学に提出して文学博士号を取得[1]。1954年、慶應義塾大学文学部専任講師に就いた[1]。1956年、同教授に昇格[1]。1971年に慶應義塾大学を定年退職し[1]、名誉教授となった[1]。
学界では、日本イスラム協会[4]、日本オリエント学会の設立運営に貢献し、日本でのイスラム学、オリエント学研究の発展に尽力した。
戦前から戦後にかけて、イスラム学、西アジア史、東西交渉史に大きな足跡を残した。アラビア語文献に基づいた東西交渉史(シルクロード学)の実証的研究を数多く行う一方で、文学的情趣をあわせもった一般的向けの啓蒙書についても数多く著し、アラブ文化・イスラーム文化を日本に広く紹介した。
初のアラビア語原典での日本語訳となった『アラビアン・ナイト』が名高い。弟子に家島彦一や三木亘・坂本勉らがいる。多くの編著刊行にも関わった。
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