ルネ・グルッセ
フランスの歴史家 ウィキペディアから
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ルネ・グルッセ(René Grousset、1885年9月5日 - 1952年9月12日)は、フランスの歴史家、東洋学者。
南仏ガール県のオーベ村で生まれた。父は地方の大学講師で、息子が生まれる少し前に亡くなっている。グルッセはモンペリエ大学で、歴史と地理の学位を取ったが教職にはつかず、1912年に芸術省にはいった。1914年、世界大戦に従軍して戦傷を負う。
戦後は芸術省にもどって、最初の著書を発表した。1925年にギメ東洋美術館の副館長に就任、1935年から1946年までアジア協会の機関誌『ジュルナル・アジアティックJournal asiatique』の編集長を務め[1]、東洋学のあらゆる専門分野、あらゆる専門家に接しながら、研究の成果を発表する。1928年にルーヴル学校(Ecole du Louvre)のインド学教授。1929年から翌年にかけて、シリアとイランを旅行。1932年、やはり東洋関係のチェルヌスキ博物館 (Cernuschi-musée des arts de l'Asie)の館長を兼任。フランス文学院より1930年と1939年にスタニスラス・ジュリアン賞を受賞。
第二次世界大戦後の1946年にアンドレ・ベルソールの後任としてアカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。1946年に日仏会館の再開にあたり、フランス政府の文化使節として来日し、各地で講演会を催し、学士院の名誉会員に推される。翌年はカナダ各地をめぐるが、旅行中の無理を重ねたことが禍して、67歳の生涯を閉じた。その死にあたっては、アフガニスタンの国王ザーヒル・シャーをはじめ、哀悼の辞が寄せられた。
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