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日本の政治家 ウィキペディアから
八木 哲也(やぎ てつや、1947年8月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、環境副大臣。
愛知県西加茂郡高橋村に生まれる(現在は豊田市高橋町に在住[3][4])。父親は豊田市議会議員だった[5]。高橋村立高橋中学校(現・豊田市立高橋中学校)卒業[6]。愛知県立豊田西高等学校卒業[7]。上京し中央大学に入学し、理工学部の管理工学科にて学んだ[8]。1972年に中央大学を卒業し[8]、その後はインドの各地を放浪する生活を送る[9]。しかし、寄生虫に寄生されるなど、苛酷な生活を送る[9]。1974年、小島プレス工業に入社。1998年に退職[8]。
1999年の豊田市議会議員選挙で初当選[8][9]。4期務め、2009年に議長にも就任した[10][11]。また、豊田市の監査委員なども務めた[8]。議会での会派としては自民クラブ議員団に所属し、幹事長や団長などを歴任した[8]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に愛知11区から自由民主党公認で出馬した[8]。小選挙区では民主党の古本伸一郎に敗れたが、比例東海ブロックで復活して初当選した。この総選挙で当選した頭髪の薄い新人議員を集めて「日本を明るくする会」を結成し、その会長に就任[12]。衆議院副議長などを歴任した衛藤征士郎を相談役に招聘した[13]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙にて、愛知11区から出馬。小選挙区では再び古本に敗れたが、比例復活で再選[14]。2017年の第48回衆議院議員総選挙にて、小選挙区でまたも古本に敗れたが、比例復活で3選[15]。
2020年10月、次期衆議院議員総選挙に出馬せず引退する意向を示したが[16]、2021年5月には後継候補の擁立が決まらず、支援者や地方議員からの要望を受け引退を撤回し出馬する意向を示した[17]。一方、長年、選挙区で対立候補として争ってきた古本も支援母体であるトヨタ系労働組合の方針転換を受けて出馬を断念[18]。同年10月に行われた第49回衆議院議員総選挙では、八木は共産党の候補に大差をつけ、初めて小選挙区で勝利した[19]。
2024年9月27日に行われた自民党総裁選挙において石破茂の推薦人に名を連ね[20]、1回目の投票、決選投票、ともに石破に投じた[21]。
同年10月15日、第50回衆議院議員総選挙公示。愛知11区からは八木、国民民主党公認の丹野みどり、日本共産党公認の植田和男の3人が立候補した[22]。10月22日、石破首相は愛知入りし、岡崎市で街頭演説を行ったあと、豊田市の名鉄トヨタホテルで地元関係者と昼食。同ホテルで行われた八木の集会で演説した。その後、小牧市、一宮市、名古屋市、東海市の順番で応援演説を行った[23]。自民党は裏金問題や統一教会問題、10月23日に発覚した非公認候補への2000万円支給問題などで逆風が吹き荒れた[24][25][26][27]。10月27日、総選挙執行。投票締め切りの20時直後にNHKは丹野の当選確実を報じた[28]。比例代表への重複立候補が認められなかった八木は議席を失った[22]。
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