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日本の政令 ウィキペディアから
出入国管理及び難民認定法(しゅつにゅうこくかんりおよびなんみんにんていほう、昭和26年政令第319号)は、出入国管理制度(日本国への入国、帰国、日本国からの出国、外国人の日本国在留に関する許可要件や手続、在留資格制度、出入国在留管理庁の役割、不法入国や不法在留に関する罰則等)、ならびに難民条約および難民議定書に基づく難民認定制度等を定めた日本の法令。所管官庁は、法務省およびその外局出入国在留管理庁である。
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
十五年戦争(日中戦争・大東亜戦争=太平洋戦争・第二次世界大戦)終結と戦後処理に関連してGHQが施行を命じた、いわゆるポツダム命令の一つとして出入国管理令の題名で1951年(昭和26年)10月4日に公布、同年11月1日に施行された[注釈 1]。ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第126号)第4条の規定により、対日講和条約発効日(1952年(昭和27年)4月28日)以降も「法律としての効力を有する」との存続措置がとられたため、法令番号は政令のままであるが法律の効力を有するものとして扱われており、以後の一部改正もすべて法律により行われている。日本国の難民条約、難民議定書への加入に伴い1982年(昭和57年)1月1日に題名が現在のものに改められた。
形式は政令だが効力は法律同等、題名の末尾は「法」ではあるが「法律」ではない、など特殊な経緯を持つ。通常、法令においては冒頭(第1条など)に目的、趣旨についての規定が置かれ、この中で法令自身を指す文体として「この法律(政令)は、○○を目的とする。」などと表記されるが、入管法についての当該部分は、出入国管理令の時代は「この政令は」と、題名改正後は「出入国管理及び難民認定法は」との表記が用いられており、名実共に法律でなければ用いることができない「この法律は」という表記をしないよう配慮がなされている。なお、e-Gov法令検索の検索では政令とも法律とも扱われている。
略称については、正式題名上「出入国管理」と「難民認定」が並列であること、また、難民に関する報道記事で「難民」の語を略する必然性がないことから報道等では「入管難民法」とする例が多いが、法令条文その他の公的文書において引用する場合は原則として「入管法」と表記される。
実際の出入国管理行政は、法務省出入国在留管理庁(旧入国管理局)、入国者収容所及び地方出入国在留管理局(旧地方入国管理局)が所掌し、法務大臣、出入国在留管理庁長官、入国審査官、入国警備官などが遂行する。
前身の法令(ポツダム命令)として、出入国の管理に関する政令(昭和24年政令第299号。同年8月10日公布、即日施行)、不法入国者等退去強制手続令(昭和26年政令第33号。同年2月28日公布、一部は即日又は同年4月1日に施行されるも主要部分は結局廃止まで未施行)があったが、出入国管理令の施行に伴い廃止となった。
難民条約・難民議定書への加入に伴い、1982年1月1日から出入国管理令に難民認定関連手続に関する条項が追加され、難民を称する者が条約・議定書上の難民に該当するかどうかの認定業務を、法務省入国管理局が担当することとなった。併せて題名も「出入国管理及び難民認定法」に改められ、「法律の効力をもつポツダム命令」という特殊な状態を、それまでの略称「入管令・出管令」から、より実情に近い「入管法・入管難民法」という略称で表すことができるようになった。
外国人が入国審査官から上陸許可を受ける場合、1990年5月31日までは付与される在留資格が入管法の条項を示した記号により表示され、一般にはわかりにくい方式であったが、翌6月1日に在留資格を再編した改正法が施行され、在留資格は第4条での羅列方式から別表での一覧方式となり、かつ、その表示も「人文知識・国際業務」「短期滞在」「日本人の配偶者等」などの具体名となり、上陸許可証印には日本語表記と伴に、その英語訳が表示されるようになった。
この改正により「定住者」の在留資格が創設され、日系3世まで、一部の例外を除く就労可能な地位が与えられたが、これはバブル景気の人手不足を背景に、外国人労働者の受け入れを望む日本の経済界の意向を、自民党が汲んだものであった[2]。これにより、主にブラジル、ペルー等の中南米諸国から多く来日していた日系人の入国が容易になり、来日数が増加した[3]。
2002年に開催されたFIFA(国際サッカー連盟)主催2002 FIFAワールドカップにおいて、国外からのフーリガンの大量流入が懸念された[4]。この対策として、2001年11月13日の改正で第5条第1項第5号の2、24条4号の3に「フーリガン条項」が追加され、開幕3ヵ月前の2002年3月1日より施行され、フーリガンの上陸拒否が可能となった。
不法滞在の外国人に対する退去処分の内、過去に退去強制がないこと、出入国管理及び難民認定法以外の犯罪事実がない者、帰国の意思を持って自ら出頭したことなど、いくつかの要件に該当する者に対して、退去強制手続きによらない方法で出国させる制度を創設した。この制度は、運用面で入国管理局が既に実施していたものを、追認したものである。偽造パスポートなどにより入国した者は対象とならない。また出国命令制度を利用できるのは、生涯で一人、一回限りである。出国命令が認められると、身柄を収容されないことや、再入国禁止期間が1年間と短い特徴がある。
難民に関する日本の諸制度には幾つかの批判があった。その一つが、日本の難民受入れ人数が他の主要国に比べて著しく少なく、難民認定の基準が厳格すぎるのではないかというもの。今一つが、調査を行う難民調査官は入国審査官の中から指定され、認定を行うのは法務大臣、不認定への異議申出の裁決を行うのも法務大臣と、手続の担当官庁がすべて法務省という閉鎖的な制度になっているというものである。これらを改善するため、2005年5月16日に難民審査参与員(なんみんしんさ さんよいん)制度が新設された。これは法務省に属さない在野の法曹や学識経験者のなかから法務大臣が任命するもので、難民の不認定処分への審査請求[注釈 5]に際しては難民を主張する申立人などを審尋したり、法務大臣がその審査請求に決定を下すに際しても事前に意見を提出したりする。こうして難民受け入れの可否にも第三者的見地に立った意見が反映されるようになった。
2007年11月20日から、外交特権を有する者、政府招待者、特別永住者、16歳未満の者以外の外国人は、入国審査にあたって、原則として指紋採取機により、両手の人差し指の指紋採取(生体認証)と顔写真の撮影(J-BIS)が義務化された[5]。一部に人権蹂躙の指摘もあったが、外国人の犯罪の増加や、入管事務の業界用語であるリピーター(退去強制者の不正再入国)防止のため、実施に移された。また、日本国籍者に対しては、自ら希望して指紋を事前登録した者への出帰国手続の簡素化措置(自動化ゲート)も導入された。
従来の入管審査では、退去強制となった者が、合法的・あるいは非合法に氏名を変更して入国審査を受けたとき、及び自国で公務員への賄賂等により別名義のパスポートを発行させた場合などには、従来の入管審査でその同一人性を見破るのは困難であった。合法的な氏名の変更による不正再入国の例としては、姓名判断や宗教上の理由など正当と認められる理由があれば比較的簡単に氏名を変更することを法令で認めている国家において、氏名の異なったパスポートを取得して別人に成りすまして再入国を試みることが挙げられる。
2009年(平成21年)の通常国会において、「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律」が可決・成立し、同年7月15日に公布された。この改正法では、在留カードの交付など新たな在留管理制度の導入を始めとして、特別永住者証明書の交付、研修・技能実習制度の見直し、在留資格「留学」と「就学」の一本化、入国者収容所等視察委員会の設置などが盛り込まれた[6]。主な改正点は以下の通り。
上記1と2にともない、外国人登録制度は廃止された。また、同じく住民基本台帳法の改正により、(1)中長期在留者(在留カード交付対象者)、(2)特別永住者、(3)一時庇護許可者又は仮滞在許可者、(4)出生による経過滞在者又は国籍喪失による経過滞在者を住民基本台帳法の適用対象に加えられ、住民票が交付されることとなった[7]。
この改正に基づき、「国籍・地域別在留外国人数」の統計方法が2012年末から変更になった[8]。
2014年(平成26年)の第186回国会において改正法案が成立し、6月18日に公布された。在留資格における主な改正点は4つ[9]。そのうち3つは2015年(平成27年)4月1日から施行されている。「留学査証」だけは1月1日からである。これらについては列挙後述する。また1月1日から、法務大臣が指定するクルーズ客船の外国人乗客を対象として、簡易な手続で上陸を認める「船舶観光上陸許可」制度を設けている。自動化ゲートを利用できる対象者の範囲を拡大して、上陸許可の証印を省略、特定登録者カードを証明に使えるようにする改正の施行期日は、公布の日から起算して2年6月を超えない範囲内において政令で定める日から施行するとされ、2016年11月1日[10]から施行された。
しかし一方で、これに基づく船舶観光上陸許可を用いて来日した外国人のクルーズ客らが、日本への上陸後に相次いで失踪していることが、2016年(平成28年)12月16日付の毎日新聞で報じられた。同年11月に不法残留の中国人らが兵庫県警察に逮捕されたことをきっかけに、ブローカーらの存在や入国管理の甘さなどが噴出したと見られ、これらの簡略化が仇となったと見られている[11]。
2018(平成30)年12月8日、第197回国会(臨時会)において「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が成立し、同月14日に公布され (平成30年法律第102号)2019年4月1日に施行された。[12]
新たな在留資格として
を創設した。
技能実習制度との違いは同一職種なら転職や移転があること。
2023年の改正案では、難民申請中は強制送還が停止される規定について、3回目の申請以降は「相当の理由」を示さなければ適用しないとする変更が加えられた[13]。2023年6月9日に参議院本会議で成立した[14]。
政府は改正案の理由として、「送還を拒否するために難民認定制度を乱用している者がいる」と主張している[15]。その根拠の1つが、難民審査参与員である柳瀬房子の国会答弁である。柳瀬は21年4月の衆議院法務委員会で「(難民として)認定したいと思っているのに、申請者の中に難民がほとんどいない」と発言した[15]。入管庁は2021〜22年の2年間で柳瀬が担当した審査の件数が約2600件だと明らかにした[16]。一方、全国難民弁護団連絡会議(全難連)が参与員10人を対象に調査したところ、今年3月までの1年間の審査件数は1人平均36.3件であった[17]。全難連は会見で、柳瀬の件数について「(年間約1000件は)虚偽か、審査が適正に行われていない可能性がある」と述べた[17]。
この規定は、国連の特別報告者によって、国際法上の重要な原則である、迫害を受ける可能性のある国への送還を禁止する「ノン・ルフールマン原則」を損なうとの懸念が表明された。これに対して政府は「法的拘束力がない」「特別報告者個人の資格で発表されたもの」と反論を行った。しかしながら、以上の懸念は法的拘束力のある国際人権条約に基づき、国連が示したものであり、政府のこの立場を問題視する意見もある[18]。
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