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日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
佐藤 隼輔(さとう しゅんすけ、2000年1月3日 - )は、山形県山形市生まれ、宮城県仙台市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属[2]。
獲得メダル | ||
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日本 | ||
アジア プロ野球チャンピオンシップ | ||
金 | 2023 |
仙台市立愛子小学校4年生のときに『愛子スポーツ少年野球団』で野球を始め[3]、小学6年生の冬から仙台市立広瀬中学校1年生の夏まではリトルリーグの『折立スパローズ』に所属し、全国大会での優勝を経験[4]。その後は広瀬中学校の軟式野球部に所属した[3]。
仙台高校に進学すると、1年夏は背番号18でベンチ入りし、宮城広瀬との初戦に先発[4]。9回10安打9奪三振3失点という内容で完投勝利を挙げた[5]。2年秋から背番号1[4]。3年夏は県大会準々決勝で敗れたが、全5試合に先発し、41イニングを投げて58奪三振を記録した[6]。高校時代のストレートの最速は144km/hを計測しており、プロのスカウトからも注目を集めていたが、プロ志望届は提出せずに大学進学を選んだ[7]。
筑波大学への進学後は、1年秋からリーグ戦に登板し、デビューから44回2/3連続無失点と好投[8]。2年夏には日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され[9][10]、同大会では中継ぎとして全5試合に登板し、計6イニングを自責点0に抑えた[8]。2年秋に左肘の内側を痛め、3年春は新型コロナウイルスの影響でリーグ戦が中止となったが、3年秋のリーグ戦直前に今度は左肘外側の関節に炎症を起こした[11]。4年秋の2021年9月3日にプロ志望届を提出[12]。同11日の東海大学戦では自己最速を更新する152km/hを計測したが、この試合で右脇腹を痛めた[13]。大学4年間ではリーグ戦通算防御率1.55[14]。
10月11日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから2位指名を受けた[15]。ドラフト前は1996年の杉本友以来となる国立大学出身の1位指名も期待されていたが叶わず、指名後の会見では「悔しい思いはありますが、順位に関係なく頑張りたいです」と語った[16]。11月17日に契約金7000万円・年俸1250万円(金額はいずれも推定)で入団に合意した[17]。背番号は19[18]。背ネーム表記は「SATO」。担当スカウトは竹下潤[19]。
2022年は春季キャンプをA班でスタートし[20]、オープン戦にも登板した。辻発彦監督からは中継ぎ起用が明言されていたが[21]、今井達也の登板回避を受け、急遽3月21日の東京ヤクルトスワローズとのオープン戦に先発[22]。5回無失点と好投し[23]、そのまま開幕ローテーションに入り、開幕4試合目の北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初登板初先発[24]。5回4安打1四球2奪三振無失点という内容[25]でプロ初勝利を挙げた[26]。その後は先発登板を一度飛ばすため[27]の登録抹消がありながらも[28]、先発ローテーションを回っていたが、6月7日の読売ジャイアンツ戦では勝敗は付かなかったものの、4回4失点と試合を作れず[29]、翌8日に出場選手登録を抹消された[30]。7月13日に特例2022の代替指名選手として一軍へ昇格したが[31]、登板機会は無く、同17日には無症状ながら新型コロナウイルス陽性判定を受け[32]、特例2022で出場選手登録を抹消された[33]。9月1日に先発として出場選手登録となったが[34]、同日の先発予定試合が雨天中止となり、その後は中継ぎとして一軍に帯同[35]。翌2日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初のリリーフ登板となり、1イニングを無失点に抑えたものの[36]、9月5日に出場選手登録を抹消された[37]。同15日の再登録後[38]もリリーフとして起用され、ルーキーイヤーは一軍で12試合(9先発)に登板して3勝4敗・防御率4.60を記録。オフに350万円増となる推定年俸1600万円で契約を更改した[39]。なお、シーズン終了後にトレードで佐藤龍世が入団したため[40]、報道上の表記およびスコアボード上の表記が「佐藤隼」となった。
2023年は中継ぎとして開幕一軍入りを果たし[41]、4月1日のオリックス・バファローズ戦でシーズン初登板を果たすと、自己最速の155km/hを計測[42]。同6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初ホールドを記録し[43]、その後は水上由伸や増田達至の不調もあり、勝ちパターンとして起用されるようになった[44]。ただ、指の違和感に悩まされており、アップの前後や登板前のブルペンではカイロで手を温め、血流の改善を図っていたが[45]、6月半ばから状態を落とし[46]、7月3日に出場選手登録を抹消された[47]。同16日に再登録されて[48]以降は、8月末から2週間ほど二軍再調整期間がありながらも[49][50]、シーズン終了まで一軍でブルペンの一角を担い、この年は47試合の登板で1勝2敗18ホールド・防御率2.50を記録[51]。また、ストレートの平均球速は前年から4km/h以上アップとなる149.9km/hを計測した[52]。シーズン終了後には第2回アジアチャンピオンシップの日本代表に選出され[53]、同大会では1次リーグのオーストラリア戦に登板したが、NPBとは異なる大会使用球の影響もあり、制球に苦しんだ[54]。オフに1400万円増となる推定年俸3000万円で契約を更改した[51]。
2024年も開幕を一軍で迎え[55]、5月12日の楽天戦での登板を終えた時点では、14試合の登板で0勝1敗7ホールド・防御率1.46を記録していた[56]。ただ、中8日での登板となった5月21日の千葉ロッテマリーンズ戦では、1回無失点ながら3四球[57]。その後2試合の登板を経て[58][59]、6月1日の巨人戦でも1/3回で3四球と制球を乱すと[60]、2日の同カードでは1/3回で3安打3失点と打ち込まれ[61]、翌3日に出場選手登録を抹消された[62]。ただ、6月15日に再登録されて[63]以降は26試合に登板し、失点を喫した登板は1試合のみ[64]。22試合連続無失点でシーズンを終え、この年は45試合の登板で2勝1敗17ホールド・防御率1.69を記録した[65]。
最速155km/h[42]のストレートはシュートする球質で打者の手元で微妙に変化する[67]。
変化球については、アマチュア時代はスライダーとチェンジアップの2球種であったが[68]、プロ1年目にカーブ[69]、2年目のシーズン途中からはパーム[70]、2年目のシーズン終了後からはツーシームを投げるようになっている[71]。
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