佐藤健一 (和算研究家)
和算研究家 ウィキペディアから
和算研究家 ウィキペディアから
佐藤 健一(さとう けんいち、1938年 - )は、日本の数学史研究者。数学教師をしながら近世寺子屋の数学教育を研究。明治大学付属中野八王子高等学校教頭。東京理科大学非常勤講師、日本数学史学会会長、和算研究所理事長、NPO法人和算を普及する会代表。
1938年、満洲国新京市(現・中華人民共和国長春市)に生まれる[1]。1944年秋に朝鮮の釜山から引き揚げ、東京都立川市に移住[1]。1945年、東京都立曙国民学校(現・立川市立第二小学校)に入学するが空襲警報が鳴り止まないため入学式の翌日から一日も学校へ行くことが出来ず、5月から父の実家がある山形県東置賜郡高畠町に疎開[2]。高畠町立屋代小学校に入学[2]。戦後、父は軍人であったことから公職追放され宮城県刈田郡七ヶ宿村で開墾団を結成して働く[2]。父がこの仕事を離れると、1948年に立川市に戻る[2]。立川市立富士見小学校、立川市立立川第一中学校を経て、1954年には東京都立北多摩高等学校に入学[3]。1962年東京理科大学理学部数学科卒業。同年より明治大学付属中野中学校・高等学校に勤務。
中学校時代に卓球を経験したことをきっかけに、同校卓球部顧問を務める。日本卓球協会5段の腕前で、国際卓球連盟公認審判員の資格を持つ。1983年の第37回世界卓球選手権では国際審判員を務めた[4]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.