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日本の実業家 (1944-) ウィキペディアから
似鳥 昭雄(にとり あきお、1944年3月5日[1] - )は、日本の実業家。株式会社ニトリの創業者で同社および持株会社である株式会社ニトリホールディングス代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長[2]。
1944年樺太生まれ、第二次世界大戦によるソ連の樺太侵攻により北海道に引き上げ、父の故郷である現在の石狩市花畔を経て、札幌市で育つ[3][4]。父・義雄(のちニトリ会長)は、コンクリート製造販売業を営んだ。1962年北海道工業高等学校(現北海道科学大学高等学校)卒業。1966年北海学園大学経済学部を卒業後[5]、広告会社に勤めるが仕事が獲れず半年で解雇となり、23歳で似鳥家具店を創業した。1972年、家具業界向けのアメリカ・ロサンゼルスへの研修セミナーに参加し、アメリカの豊かさを見て人生観が変わる。帰国後、家具のチェーンストアを志し、株式会社ニトリを設立した。将来、世界5万店舗を目標にしている。経営コンサルタントの渥美俊一を生前から師と仰ぐ。
1994年札幌商工会議所常議員。2004年北海道経済連合会常任理事、札幌交響楽団理事。2007年在札幌フランス名誉領事。2008年日本経済団体連合会理事、全国旅行業協会理事、民間外交推進協会理事。2010年日本チェーンストア協会副会長[5]。2021年亜細亜学園理事。
母校の北海学園大学に寄付講座を開講していたほか、私財を投じて留学生のための奨学基金を設けたなど、社会貢献活動も行う。2008年からはJリーグコンサドーレ札幌のメインスポンサーになり、高額のスポンサー料の他、選手の人件費や勝利給に使用することを条件に、1億円を寄付したこともある。北海学園大学同窓で新進党の元衆議院議員・長内順一を顧問として招聘したのを機に中央政界や地元財界への接近を強め、安倍晋三の有力な支援者となるなど、北海道の政商としての存在感を示している[6]。
2015年、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載を開始。大きな反響があり、それをまとめた本も出版された[7]。その著述の内容の一部について、実母から事実誤認のクレームを受けている[8]。また、同年10月13日にフランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章[9]。同年11月18日、フランス名誉領事を離任(後任はフルテック株式会社の古野重幸)[10]。
2018年頃、テレビ番組での発達障害に関する特集が切っ掛けで専門医などによる診断を経て、注意欠陥・多動性障害(ADHD)であることが判明したことを公表している[11]。ただし、先述の実母から指摘された事実誤認とADHDとの関連については不明である。
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