山口県萩市生まれ。1940年山口県立山口中学校卒、1942年東京高等学校文科乙類卒、1946年京都帝国大学文学部(ドイツ文学専攻)卒。三重県立医科大学予科教授、三重県立大学助教授、金沢大学法文学部助教授、名古屋大学分校助教授、教養部助教授、同教授、総合言語センター教授、同センター長併任、1986年定年退官[1]、名誉教授。1986-1995年中部大学教授[2]。名古屋大学在職中、西ドイツ・アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生として渡独、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、フライブルク大学にて研究。日本独文学会東海支部長2期4年間。1974年日本翻訳家協会 第11回 日本翻訳文化賞受賞[3]。1998年4月29日勲三等旭日中綬章受章。2000年財団法人 ドイツ語学文学振興会より感謝状贈呈[4]。90歳にて永眠[5]。
- 『ドイツ語分詞と不定詞』大学書林 1957
- 『ドイツ語教育の基本的諸問題 ―統一試験の結果とそれに基づく提案―』(共著)南江堂 1971
- 『Deutsche Lyrik des Mittelalters(中世ドイツ抒情詩選)』南江堂 1973
- ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『パルチヴァール』(加倉井粛之、馬場勝弥、小栗友一との共訳) 郁文堂 1974[6]。 ISBN 4-261-07118-5。改訂第5刷 1998年。最初の日本語散文訳。1974年 第11回 日本翻訳文化賞受賞。日本図書館協会選定図書。この訳書は、「郁文堂・中世ドイツ文学叢書」全6巻の最初の書物となった。
- 『中高ドイツ語小辞典』(馬場勝弥・小栗友一・松浦順子・有川貫太郎との共編著)同学社 1991。『新訂・中高ドイツ語小辞典』2001(本邦初の中世ドイツ語辞典)[7]
- ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「ヴィレハルム」(馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子との共訳)第1・2巻〔名古屋大学教養部 紀要 17輯 1973〕、第3巻〔同上 18輯 1974〕、第4巻〔名古屋大学教養部 紀要C(外国語・外国文学)19輯 1975〕、第5巻〔同上 20輯 1976〕、第6・7巻〔名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター 紀要C(外国語・外国文学)21輯 1977〕、第8巻〔同上 22輯 1978〕、第9巻〔同上 23輯 1979〕(有川は第3巻から、松浦は第5巻から)
- ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「ティトゥレル」(馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子との共訳)(1)〔名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』1巻、1980.3〕。(2)〔同上 2巻・1号 1980.12〕
- 「ヴォルラムの叙情詩―TageliederとWerbelieder―」(馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子との共著)〔名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』4巻・2号 1983〕(叙情詩9篇の邦訳と解説)
- 「ナイトハルトの叙情詩」(馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子との共訳)(その一)・(その二)・(その三):名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』V-2 (1984) pp.175-226; VI-2 (1985) pp.367-427; VII-2 (1986) pp.161-229[ie Lieder Neidharts. Hrsg. von E. Wießner. 3. Auflage. revidiert von H. Fischer. Tübingen: Niemeyer 1968 (=ATB 44) 所収のナイトハルト・フォン・ロイエンタールの歌全ての邦訳]
- 「独逸語の情感性について」日本独文学会『ドイツ文学』4号1950
- 「「ニーベルンゲンの歌」における等族意識」三重県立大学研究年報 1巻1号 1952
- 「Walther von der Vogelweide「Spießbrathenspruch」について」三重県立大学研究年報 1巻2号 1953
- 「ワルター・フォン・デァ・フォーゲルワイデについて」三重県立大学研究年報 1巻3号 1954
- 「ヴァルターのTegernseespruch (L. 104, 23)について」金沢大学法文学部論集文学篇 3 1955
- 「Heinrich von Morungenについて」名古屋大学教養部 紀要 1輯 1957
- 「ナイトハルト (Zu Neidharts Liedern)」日本独文学会『ドイツ文学』21号 1958
- 「中世文学研究の意義と方法」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』4号 1966
- 「パルチヴァールのプロローグ――その解釈のために――」名古屋大学教養部 紀要 11輯 1967
- 「中世文学におけるFehdeの問題」名古屋大学教養部 紀要 12輯 1968
- 「パルチヴァールの文体 dunkel-krumm-humoristisch」名古屋大学教養部 紀要 15輯 1971
- 「パルチヴァールとハルトマン」日本独文学会『ドイツ文学』49号 1972 61-69
- 「聖杯王アンフォルタスの傷――中世のNaturkunde――」名古屋大学教養部・語学センター 紀要 C(外国語・外国文学)21輯 1977
- 「’Parzival’の構成の問題――Gurnemanz-Episodeを中心として――」名古屋大学教養部・語学センター 紀要 C(外国語・外国文学)22輯 1978
- 「Parzivalの原拠とKyotの問題」日本独文学会『ドイツ文学』63号 1979
- 「吟遊詩人について」名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』I 1980
- 「ゲーテ「Faust」の受容について」名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』II/2 1981
- 「ドイツ中世文学とlocus amoenus(悦楽境)――伝統の継承の問題―― (1)」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』17号 1985
- 「ドイツ中世文学に現れたパロディー」昭和60年度科学研究費補助金(一般研究B)〔59450051〕研究成果報告書『ドイツ中世文学におけるパロディー――ヨーロッパ中世文学と比較して――』1986
- 「ドイツ中世文学と私」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』18号 1986
- 「Turnier、 BuhurtとTjost―詩と真実―」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』22号 1990
- 「Kontrafaktur(メロディー借用)―Friedrich von HausenとHausen-Schule―」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』23号 1991
- 「トリスタンとイゾルト―文化の伝達の問題―」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』26号 1994
- 「谷崎潤一郎『痴人の愛』とドイツ小話『アリストテレスとフィリス』」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』27号 1995 49-61
- 「愛の洞窟 (Tr. 16985-17057) のアレゴリーとシャルトル学派の宇宙論」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』29号 1997
- 「トリスタン物語の変容―アイルハルトからトマへ―」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』31号 1999
- 「『トリスタンとイゾルデ』について」(ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク作、石川敬三訳の書評)郁文堂 Brunnen Nr. 182 1976.2
- 「フィッシャーさんのこと」同学社『ラテルネ』(Laterne) 36号1976.9 p.35
- 「ドイツの魚料理あれこれ」:同学社『ラテルネ』(Laterne) 37号1977.3 pp.9-12
- 「ドイツ中世文学を語る」(I)・(II)(中島悠爾・高津春久との座談会)郁文堂Brunnen Nr. 239・240 Jan./Feb. 1982
- 「『ハルトマン作品集』を読んで」(ハルトマン・フォン・アウエの作品の中、平尾浩三訳「エーレク」、中島悠爾訳「グレゴーリウス」、相良守峯訳「哀れなハインリヒ」、リンケ珠子訳「イーヴェイン」を納める『ハルトマン作品集』の書評)郁文堂 Brunnen Nr. 245 1982.7 pp.5-9
- 「郁文堂『和独辞典 第二版』の感想」郁文堂 Brunnen Nr. 254 1983.6
- 「若き日の金沢」:同学社『ラテルネ』(Laterne)) 52号1984.9 pp.7-9
- 「コンラートはEpigoneか」(コンラート・フォン・ヴュルツブルク作、平尾浩三訳『コンラート作品選』の書評)郁文堂 Brunnen Nr. 267 1984.10
- 「『郁文堂 和独辞典』第三版、思いつくまま」郁文堂 Brunnen Nr. 380 1996.7 pp.9-11
- 「小さな冬の宿」郁文堂 Brunnen Nr. 392 1998.7 pp.9-12
- 「ヴォルフラム 聖金曜日の結末」〔天沢退二郎責任編集『週刊朝日百科 世界の文学56 ヨーロッパ I―6 アーサー王伝説、トリスタン物語ほか―神話の森から』朝日新聞社 2000.8.13。pp.184-185〕(『パルチヴァール』についての解説)
「伊東泰治教授略歴・業績」名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』VII/2(伊東泰治教授・宗和寶正教授退官記念号)1986.3。伊東泰治「楠の木の道」〔『名大教養部ニュース』No.56. 1986.1.25 pp.11-12; pp.12-13に、馬場勝弥による「伊東先生のご退官に際して」〕
『毎日新聞』昭和49年(1974年)11月5日(火曜日)付、新12版 (13); Mainichi Daily News, Saturday, November 23 1974, (4) (A) <Translation Awards For 4 Works, 5 Publishers> & Mainichi Daily News, Sunday, November 24 1974, (4) (C) < Translation Awards Presented In Rite>. 財団法人 ドイツ語学文学振興会『ひろの』40号 2000。pp.2-3に、略歴と小栗友一による「伊東泰治先生のこと」
『中日新聞』2013年(平成25年)4月5日(金曜日)付夕刊、D版 (13) 訃報欄;小栗友一による追悼文「伊東泰治先生を偲んで ―Wolfram 研究に捧げた一生―」〔日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』45号 2013 pp.163-165〕および「パルチヴァールにとりつかれた人生――伊東泰治先生の思い出――」〔同学社『ラテルネ』(Laterne)110号 2013.9.2. pp.22-23〕 書評には、日本独文学会機関誌「ドイツ文学」54号 1975掲載の平尾浩三によるものの他多数あるが、新聞紙掲載の後、単行本に再録された書評に、国松孝二のもの(「週刊読書人」1974.7.22. 再録:同著『浮塵抄』同学社 1988. ISBN 4-8102-0078-7 C 1098, pp.177-180)と濱川祥枝「華麗なるヨーロッパ中世騎士絵巻――『パルチヴァール』の翻訳に寄せて」(「毎日新聞」1974.4.16. 再録:同著『續ひとくぎり』私家版1994. pp.283-285)がある。 ドイツ語表記では、Mittelhochdeutsch-Japanisches Taschenwörterbuch。Kozo Hirao(平尾浩三)による書評 (Germanistik: internationales Referatenorgan mit Bibliographischen Hinweisen 33. Jg. (1992), 3/4 (Tübingen, Niemeyer))、松浦純による書評(日本独文学会『ドイツ文学』89号 1992 pp.154-156)および古賀允洋による書評(『図書新聞』1991年11月16日付)において、中世ドイツ語の優れた文学作品を読む際に非常に役に立つ、旨の高い評価が与えられている。