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仙台市にある、仙台空襲からの復興を記念する公共施設 ウィキペディアから
仙台市戦災復興記念館(せんだいしせんさいふっこうきねんかん)は、宮城県仙台市青葉区大町にある公共施設である。広瀬通と晩翠通との交差点近くの肴町通沿いにある。仙台空襲からの復興を記念して建設された。
宮城野区・太白区・若林区における「文化センター」や泉区の「泉文化創造センター」と同様、青葉区の「文化センター」としての役割も果たしており、コンサートホール・会議室等を備えている。
仙台市は、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)7月10日に仙台空襲で市街地が焦土と化したため、戦後の1946年(昭和21年)に戦災復興都市計画が策定された。岩戸景気の中、1961年(昭和36年)に復興関連諸工事が完了すると、全国の公害問題を意識して1962年(昭和37年)3月16日に「健康都市宣言[2]」を採択して復興後の都市計画の方向性を示し[3]、1973年(昭和48年)3月27日に「杜の都の環境をつくる条例[4]」、1974年(昭和49年)9月28日に「広瀬川の清流を守る条例[5]」を制定していくことになる[6]。
このような戦災からの復興を記念し、15億9千万円をかけて当館は建設され、1981年(昭和56年)4月に開館した。資料展示室の展示内容は、藩政期から現在までの仙台の歩みが網羅されているが、上述のような戦後復興期から高度経済成長期を中心に展示がなされている。なお、戦後混乱期の1945年(昭和20年)9月から1957年(昭和32年)まで仙台にアメリカ軍が進駐していたが、その資料収集は榴岡公園にある仙台市歴史民俗資料館が主に行っている。
300席前後の固定席ホールがある仙台市の公共施設には、当館の他に仙台駅近くの仙台市シルバーセンター交流ホール(304席)、五橋駅前の仙台市福祉プラザふれあいホール(302席)がある(参照)。
2020年(令和2年)11月、仙台市は老朽化のため戦災復興記念館を将来的に廃止する方針を固めた[7]。廃止後の仙台空襲や戦災復興事業の記録の保存や展示の在り方について検討されていた[7]が、2021年(令和3年)7月から2022年11月まで休館、大規模改修工事を行う[8]。
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