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日本の官僚、政治家 ウィキペディアから
中村 純九郎(なかむら じゅんくろう、1853年8月7日(嘉永6年7月3日) - 1947年(昭和22年)12月18日)は、日本の官僚・政治家。貴族院議員。
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佐賀藩出身。佐賀藩士・中村喜三太の長男として生まれる。戊辰戦争には鍋島左馬之助配下として従軍。1874年の佐賀の乱では島義勇率いる憂国党の一員として参戦した。なお、円山公園にある札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績を記した『島判官紀功碑』の碑文は中村の手により書かれている。1876年、司法省法学校を修了。
1884年、参事院御用掛となる。以後、海軍省翻訳官、海軍主計学校教授、海軍教授などを歴任。さらに、台湾総督府民政局参事官、拓務省参事官、淡水税関長兼基隆税関長、札幌郵便局長などを務めた。
1907年12月、福井県知事に就任。1912年3月、広島県知事に転じた。1914年4月、北海道庁長官に就任。大凶作の対応に尽力した。
妻・千代は坂部長照の次女[5]。妻の姉、すなわち坂部の長女は天文学者・寺尾寿の先妻である[5]。次女は住友財閥の総理事・古田俊之助に[5]、三女は陸上選手で日本人初のオリンピック金メダリストの織田幹雄に嫁いだ[5]。
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