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日本の女優、女性声優 (1944-) ウィキペディアから
上田 みゆき(うえだ みゆき、1944年6月2日[5][7][9][10][注 1] - )は、日本の女優、声優。所属事務所はいさお企画。
中華民国山西省(現:中華人民共和国山西省)出生[3][4][6]、東京都立川市出身[5]。以前は上田 みゆ起の芸名で活動していた。
父が京城帝国大学医学部卒業後、中華民国山西省(現:中華人民共和国山西省)の病院に勤務していたことから、上田はそこで誕生したという[5]。1945年、敗戦と同時に一家は、東京都立川市へ引き揚げてきたという[5]。
1954年、ニッポン放送のラジオ番組『ポッポちゃん』の主役募集に応募して合格して子役としてデビュー[4][5][6][8][12][13][11]。役名“ポッポちゃん”と呼ばれアイドルとして親しまれていた[4][13]。以来、ニッポン放送の専属だったが、フジテレビ開局はフジテレビの人気番組『少年探偵団』でレギュラー出演していた[4]。当時は少女雑誌の全盛期で上田の顔はよく表紙を飾っており、おびただしいファンレターが毎日のように舞い込んだという[5]。その後もモデルになったり、ラジオ番組に出演していた[5]。
小学1年生の終わり近く、母に勧めらるまま、近くの舞踊家の石井漠のモダンバレエの研究所でモダンバレエを習う[4][5]。その時に松島トモ子と仲良くなったという[5]。啓明学園小学校[5]、明星学園小・中・高校を経て、父のすすめで、2年で日本大学芸術学部放送学科中退[4][6][12][13][11]。劇団NLT[5][12][13][11][14]時代は、その看板女優として活躍、フランス・ブールバール劇、邦題『マカロニ金融』ではかつての名優、森雅之と共演。
初めてのアテレコ作品はテレビドラマ『少年探偵団』に出演していた時、勧められて『青い麦』に出演していたニコール・ベルジェをアテていた[12]。その時にすごく楽しく、いい作品だったせいもあるかもしれないが、何の苦労も感じていなかったという[12]。
以前はOT企画[12][14]、ぷろだくしょんバオバブ[10]に所属していた。
1981年、ささきいさおと子連れで再婚[4]。その時の苦労が、夫との共著『子連れ再婚の片道切符』(1986年出版)に書かれている。
同じく声優の森功至とは幼なじみで、出会いは児童劇団時代だった気がしていると語る[15]。森によると、当時上田が出演していた夕方で放送されていた子供向けの番組に森が出演することになっていたが、その時スタジオのロビーには色々な児童劇団の子役がおり、そこで上田とも知り合うようになったという[15]。
父は歯科医[4]で東京都福生市で産婦人科医院を開業していた[5]。元夫は劇団NLTに所属していた俳優の真船道朗[13]。元夫との間に息子がいる[5]。
好きな言葉は「思いやり」[4]。
太字はメインキャラクター。
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