三木慶介

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三木 慶介(みき けいすけ、1922年 - 2016年)は、日本山岳写真家

写真雑誌の月例応募からスタートし、またたく間に「三木時代」なる言葉まで生み、山岳写真界に一時代を築いた[1]

1954年からアサヒカメラの月例に応募しはじめ、1956年にアサヒカメラ優秀作家賞、1959年イタリアで開催された、世界国際山岳写真ビエンナーレ展で、「滑降」が日本人として初めて最優秀賞を受賞した。

1964年にも「友を気遣う」が、世界国際山岳写真ビエンナーレで2度目の最優秀賞を受賞した。

全日本山岳写真協会の理事長を務め会長に就任。東京野歩路会代表を経て顧問に就任、後進の指導にあたった[2]

略歴

東京都写真美術館収蔵作品

  • 「雲竜渓谷」「南稜のテラス」「三ノ窓」「顔」「ラッセル」「雪稜登攀」「雲わく滝谷」[6]

脚注

参考文献

外部リンク

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