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静岡県浜松市北区の地名、地区名 ウィキペディアから
三方原(みかたはら)は、静岡県浜松市中央区の浜松北地域自治区にある地名、地区名。また、天竜川以西浜名湖以東の間に広がる洪積台地である。地元では「みかたばら」「みかたっぱら」と呼ぶことがあり、三方ヶ原(みかたがはら)と表記することもある。
「三方原地区」とは初生町、三方原町、東三方町、豊岡町、三幸町、大原町、根洗町を指すが、都田地区(都田町、滝沢町、鷲沢町)、および新都田地区(新都田一丁目〜五丁目)を含む場合もある(但し都田・新都田の両地区は浜名区に属する)。
東西10km、南北15km、標高25〜110m。天竜川の扇状地が隆起したものである。この台地が存在するため、旧浜松市内には坂が多い。ジャガイモ、大根、日本茶の産地。台地は浜松市域に属する。
『浜松御在城記』などによると和地村、祝田村、都田村の三つの村の入会地であったため、「三方が(の)村の原」が転じて「三方ヶ原」と呼ばれるようになったとされる。したがって、現在の呼び名は「みかたはら」であるが、歴史的に読むのであれば「みかた・が・はら」の方が正しい。
1572年(元亀3年)、当地で武田信玄と徳川家康両軍が戦い(三方ヶ原の戦い)、徳川家康は敗走した。
江戸時代を通じて入会の採草地であったが、明治時代に入ると茶の栽培が盛んになる。1914年(大正3年)には浜松から金指方面への浜松軽便鉄道(浜松鉄道を経て遠州鉄道奥山線、1964年廃止)が開通、また浜松飛行隊第7連隊、高射砲第1連隊など陸軍の軍事施設も設置された(現在は航空自衛隊の浜松基地)。
三方原には「小豆餅」「銭取」という地名がある。これは三方ヶ原の戦いで敗れ浜松城へ引き上げる途中の家康が当地で小豆餅を食べたが、武田軍が迫ってきたため代金を払わず逃げた。これを店の老婆が追いかけ、家康から代金を取った、との言い伝えによる。小豆餅から銭取までは約2kmあり、老婆は騎乗の家康をそれだけ追っていったことになる。
ただしこの逸話は後世の付会で、実際には三方ヶ原の合戦での死者を弔うためこの地に小豆餅を供えたことが地名の由来である。また同様に、銭取はこの辺りに山賊がよく現れたことに由来する(山賊に銭を取られるため)。三方ヶ原の合戦があった時期、三方原台地に民家まして茶屋などは存在しなかったが、当時の家康の必死の逃亡をよく表現した伝説として、長く地元の人々に親しまれてきた。
小豆餅は一〜四丁目まである正式地名だが、小字だった銭取はバス停に名称を残すのみとなっている。
「小豆餅」「銭取」の名を冠した和菓子がある。しかし、小豆餅内に和菓子屋はない。
かつて三方原を北上していた遠鉄奥山線にも「銭取駅」「小豆餅駅」があった。廃線跡は生活道路やサイクリングロードとして、断片的に残っている。
なお「小豆餅」「銭取」は旧北区三方原地区ではなく、旧中区萩丘地区に属している。
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