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フランス王国の王家であるカペー家の分家 ウィキペディアから
ヴァロワ家(maison de Valois メゾン・ドゥ・ヴァルワ)は、フランス王国の王家。カペー家の分家であり、フィリップ3世の四男でフィリップ4世の弟ヴァロワ伯シャルルに始まる。1328年から1589年の間に13代の王を出したが、庶流は19世紀末まで続いた。ここではヴァロワ家及びその分家について解説する。
ヴァロワ伯シャルルの息子であるフィリップ6世は、カペー家嫡系の断絶を受けて1328年にフランス王に即位し、以後7代の国王が続いた。最後のシャルル8世が1498年に嗣子を残さず没して嫡系は断絶した。
シャルル5世の次男であるルイがオルレアン公に叙されたのが始まり。ルイの息子シャルルはアルマニャック伯ベルナール7世の娘と結婚してアルマニャック派を形成した。その息子のルイ12世はヴァロワ家嫡系の断絶を受け、1498年にフランス王位に就くが、1代で断絶した。
フランスで最初にオルレアン公に叙されたのはルイの大叔父に当たるフィリップであるが、子供がなく1代で公位は消滅した。
オルレアン公ルイの息子ジャンがアングレーム伯に叙されたのが始まり。その孫フランソワ1世が、1515年にルイ12世の死去を受けてフランス王に即位する。1589年にアンリ3世が暗殺されるまで、5代の王が続いた。アンリ3世は短期間ポーランド王兼リトアニア大公に就いていた。
オルレアン公ルイの庶子であるジャン・ド・デュノワがロングウィル伯に叙されたのが始まり。後にロングウィル公に昇爵し、17世紀末まで家系が続いた。
アンリ2世の庶子アンリ・ド・サン=レミを祖とする家系は19世紀末まで存続した。首飾り事件で有名なジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロワはこの家系の出身とされる。
ヴァロワ伯シャルルは同時にアランソン伯となり、その次男シャルル2世 (en) の系統が所領を相続した。曾孫のアランソン公ジャン2世はジャンヌ・ダルクの戦友として知られている。庶子の系統を除けば最も長い期間続いた家系であったが、1525年にシャルル4世が嗣子を残さず死去し、断絶した。なお、シャルル4世の妹フランソワーズはブルボン朝の祖アンリ4世の父方の祖母である。
ヴァロワ伯シャルルは3度結婚したが、フィリップ6世やアランソン伯シャルル2世の母である最初の妃は、アンジュー=シチリア家のナポリ王カルロ2世の娘マルグリットであった。2人の曾孫でジャン2世の次男であるアンジュー公ルイ1世は、ナポリ女王ジョヴァンナ1世の養子となった。このルイの家系をヴァロワ=アンジュー家と呼ぶ。この一族はアンジュー=シチリア家の別系統やトラスタマラ家とナポリ王位やプロヴァンス伯領を争った。また結婚によりロレーヌ公位を獲得している。フランス王シャルル7世の王妃マリー・ダンジューはルイ1世の孫の一人であり、百年戦争期には一族でシャルル7世に与してイングランドと敵対したが、後に和平の一環としてマリーの姪マーガレット・オブ・アンジューがイングランド王ヘンリー6世に嫁いでいる。
1481年にシャルル5世が嗣子無くして没した後、マリー・ダンジューの孫であるフランス王シャルル8世がアンジュー家の継承権を主張し、イタリア戦争が勃発する。
ジャン2世の三男ジャンがベリー公に叙されたのが始まり。長命であったベリー公ジャンはヴァロワ家の長老として権勢を誇ったが、息子に先立たれ、かつ男系の継承者がなかったため、その死とともに家系としては断絶した。遺領の一部はブルボン家に相続されたが、ベリー公位はその時々の王の近親者に授けられるものとなった。
ジャン2世の末子フィリップ豪胆公は断絶したカペー家系ブルゴーニュ家の跡を継ぎ、ブルゴーニュ公となった。その息子ジャン無怖公はブルゴーニュ派としてフランスで勢力を持った。3代目のフィリップ善良公は関心をフランスからネーデルラントに変えた。事実上最後の当主シャルル突進公はルイ11世との抗争に敗れて滅亡する。その後、遺領を巡る争いが契機となり、フランス王家とハプスブルク家の抗争が勃発する。
シャルル ヴァロワ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ6世 フランス王 | シャルル2世 アランソン伯 (ヴァロワ=アランソン家) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン2世 フランス王 | フィリップ オルレアン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル5世 フランス王 | ルイ1世 アンジュー公 (ヴァロワ=アンジュー家) | ジャン ベリー公 (ヴァロワ=ベリー家) | フィリップ2世 ブルゴーニュ公 (ヴァロワ=ブルゴーニュ家) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル6世 フランス王 | ルイ オルレアン公 (ヴァロワ=オルレアン家) | ルイ2世 アンジュー公 | シャルル モンパンシエ伯 | カトリーヌ | ジャン モンパンシエ伯 | ルイ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ ギュイエンヌ公 | ジャン トゥーレーヌ公 | シャルル7世 フランス王 | マリー・ダンジュー | シャルル1世 オルレアン公 | イザベル イングランド王妃 | ジャン アングレーム伯 (ヴァロワ=アングレーム家) | (庶子) ジャン・ド・デュノワ (オルレアン=ロングヴィル家) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ11世 フランス王 | シャルル ベリー公 | ルイ12世 フランス王 | シャルル アングレーム伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル8世 フランス王 | ジャンヌ | クロード ブルターニュ女公 | フランソワ1世 フランス王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランソワ3世 ブルターニュ公 | アンリ2世 フランス王 | シャルル2世 オルレアン公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランソワ2世 フランス王 | シャルル9世 フランス王 | アンリ3世 フランス王 ポーランド王 | フランソワ アランソン公 アンジュー公 | (庶子) アンリ・ド・サン=レミ (ヴァロワ=サン=レミ家) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(庶子) シャルル アングレーム公 | ルネ サン=レミ男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ=エマニュエル アングレーム公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー=フランソワーズ アングレーム女公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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