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ウィキペディアから
2012年ロンドンオリンピックの陸上競技・女子マラソン(2012ねんロンドンオリンピックのりくじょうきょうぎ じょしマラソン)は、イギリス・ロンドンで8月5日にオリンピックマラソンストリートコースにて開催された[1]。
2012年ロンドンオリンピック 女子マラソン | ||||||||||
優勝者ティキ・ゲラナ(左端の緑のユニフォームの選手)を含むマラソンランナーの集団 | ||||||||||
会場 | 2012年マラソンコース(コース図) | |||||||||
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開催日 | 2012年8月5日 | |||||||||
参加選手数 | 67か国 118人 | |||||||||
スコア | 2:23:07 (オリンピック記録) | |||||||||
メダリスト | ||||||||||
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コースのスタートとゴールはロンドン中心部のザ・マルであった。選手はシティ・オブ・ウェストミンスター周辺の2.219マイル(≒3.5711km)の短いコースを突破し、8マイル(≒12.875 km)のウェストミンスター、ヴィクトリア・エンバンクメント(Victoria Embankment)、シティ・オブ・ロンドン周辺のコースを通る。コースはバッキンガム宮殿、トラファルガー広場、セント・ポール大聖堂、ギルドホール(Guildhall)、レドンホール・マーケット、ザ・モニュメント(the Monument)、ロンドン塔、ウェストミンスター宮殿など多くのロンドンの名所を通るように設計されていた[2]。
エチオピアのティキ・ゲラナは2時間23分7秒のオリンピック記録でコースを突破し、金メダルを獲得した。ケニアのプリスカ・ジェプトゥーが銀メダル、ロシアのタチアナ・ペトロワ=アルヒポワは銅メダルを獲得した。
しかし、ロンドン五輪・女子マラソン開催より3年経過後の2015年11月、ウクライナ陸連は当初5着だったタチアナ・ガメラの血液データを蓄積し変化を調べる「生体パスポート」の検査で異常値を示した為、ガメラをドーピング違反と判定。ガメラの当五輪5位入賞の着順・ウクライナ記録をそれぞれ取り消した為、当初6位以下だった同五輪・女子マラソン完走選手の着順が1つずつ繰り上がった[3]。
オリンピック開催前の開催前の世界記録およびオリンピック記録は以下の通りである。
世界記録 | ポーラ・ラドクリフ (GBR) | 2:15:25 | イギリス・ロンドン | 2003年4月13日 |
オリンピック記録 | 高橋尚子 (JPN) | 2:23:14 | オーストラリア・シドニー | 2000年9月24日 |
2012年世界最高記録 | メアリー・ケイタニー(Mary Keitany) (KEN) | 2:18:37 | イギリス・ロンドン | 2012年4月22日 |
本大会において、以下の記録が更新された。
日 | 開始時刻 | |
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2012年8月5日日曜日 | 11:00 | 決勝 |
雨の中でスタートし、序盤は積極的な走りを見せる選手はいなかった。その代わり、通りを壁のようにふさぎながら大集団でコースを進んでいった。大集団は12km付近から次第に小さくなり始め、ヴァレリア・ストラーネオが前に出てきた。その数キロ後、雨が上がったところで朱暁琳(Xiaolin Zhu)がペースを上げ、マラソンの中間地点を1時間13分13秒で通過した。
朱が中間地点を通過した少し後、ティキ・ゲラナは給水所を通り抜けようとしてペースを落とした。その間に先頭集団は3人のケニア選手がペースを作り始めた。ゲラナはその後集団に追いついた。ペースは再度落ちたが、消耗戦は続いた。28kmまでは、先頭集団を引っ張っていたのは、3人のケニア選手とゲラナ、マレ・ディババ(Mare Dibaba)の2人のエチオピア選手、常に外側を走り続けたプリスカ・ジェプトゥー(Priscah Jeptoo)だった。最初に集団から飛び出したのはディババだった。一方、経験の浅いタチアナ・ペトロワ=アルヒポワは自分のペースで走り、先頭集団から遅れた選手を追い抜いて行った。ペトロワは32kmくらいで先頭集団に追い付いた。ちょうどその頃、2011年世界陸上の覇者エドナ・キプラガトは先頭から1kmほど後退していた。
35kmの給水所でペトロワは加速しキプラガトを抜き去った。残り1,500mでメアリー・ケイタニーは4位に後退した。時を同じくしてゲラナは加速し、まずはペトロワをとらえ、次にジェプトゥーを抜き、トップに立った。ゲラナはオリンピック記録を7秒上回るタイムでゴールした。
日本女子代表選手は、木崎良子・尾崎好美・重友梨佐の3人が出場。レース前半は先頭集団に着けたものの、本番前から右足首を痛めていた重友が18Km辺りで脱落。中間点を過ぎた24Km付近で木崎が遅れ初め、その後間もなく25Km手前で尾崎も先頭集団のペースアップについていけず後退。最終的に日本勢は木崎の15位が最高順位であり、前回の北京オリンピックと2大会連続で入賞を逃した[4]。
WR 世界記録 | AR エリア記録 | CR 選手権記録 | GR 大会記録 | NR 国家記録 | OR オリンピック記録 | PB 自己ベスト | SB シーズンベスト | WL 世界最高(当該シーズン中)| DNF 途中棄権
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