ロバート・ウィッシュネフスキー
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ロバート・ジェームズ・ウィッシュネフスキー(Robert James Wishnevski, 1967年1月2日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州ポーター郡ヴァルパレーゾ出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
1987年のMLBドラフト3巡目でトロント・ブルージェイズに指名され契約。メジャーに昇格することなく1991年シーズン途中でミルウォーキー・ブルワーズに移籍するが、ここでもメジャー昇格はならなかった。アメリカ球界での登録名はプロ入り当初はボブ・ウィッシュネフスキー(Bob Wishnevski)、のちロブ・ウィッシュネフスキー(Rob Wishnevski)。
1996年に中華職業棒球聯盟(CPBL)の兄弟エレファンツに入団。勞勃R.Wの登録名で抑えで活躍。防御率1.67で最優秀防御率、34セーブポイントで最多セーブ投手のタイトルを手にする。同年はCPBL記録となる球速157km/hをマークしている。
1997年に日本プロ野球(NPB)の西武ライオンズに入団するものの、結果を残せず1シーズンで退団。西武での登録名はロバートであったが、同年の干支が丑だった為、登録名を「ウッシー」「ウッシッシ」「ウシオ」のいずれかにする案があり、仮に登録名を「ウィッシュネフスキー」にしていたら、日本プロ野球で一番長い登録名となっていた。
1998年からは再び台湾へ渡り、台湾職業棒球大聯盟(TML)の年代勇士に入団。
同年途中にトレードで台北声宝太陽に移籍し、1999年途中まで在籍。
1999年途中に台北太陽から解雇され、高屏雷公に移籍した。シーズン終了後に退団。
2000年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーし、同年限りで現役引退[1]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- CPBL
- 最優秀防御率:1回 (1996年)
- 最多セーブ投手:1回 (1996年)
記録
- NPB
- 初登板:1997年4月9日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初セーブ:1997年4月11日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回裏に堀幸一から
- 初勝利:1997年5月25日、対日本ハムファイターズ12回戦(東京ドーム)、8回裏1死に5番手で救援登板・完了、1回2/3を3失点
- 初先発:1997年8月21日、対千葉ロッテマリーンズ21回戦(西武ライオンズ球場)、3回3失点
背番号
- 52 (1996年、1998年 - 1999年)
- 55 (1997年)
脚注
関連項目
外部リンク
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