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ロナルド・J・ベリサリオ(Ronald J. Belisario , 1982年12月31日 - )は、ベネズエラ・マラカイ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。2019年現在は、メキシカンリーグのユカタン・ライオンズ所属。
ユカタン・ライオンズ #99 | |
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シカゴ・ホワイトソックス時代 (2014年4月25日) | |
基本情報 | |
国籍 | ベネズエラ |
出身地 | アラグア州マラカイ |
生年月日 | 1982年12月31日(41歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 240 lb =約108.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 アマチュア・フリーエージェントとしてフロリダ・マーリンズと契約 |
初出場 | 2009年4月7日 サンディエゴ・パドレス戦 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | ベネズエラ代表 |
WBC | 2013年 |
この表について
|
1999年8月2日にフロリダ・マーリンズと契約。
2001年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マーリンズでプロデビュー。13試合に登板し、4勝6敗・防御率2.34だった。
2002年はA級ケーンカウンティ・クーガーズで23試合に登板し、6勝5敗・防御率3.46だった。
2003年はA級グリーンズボロ・バッツとA+級ジュピター・ハンマーヘッズでプレー。A+級ジュピターでは6試合に登板し、1勝2敗・防御率4.91だった。オフの11月20日にマーリンズとメジャー契約を結び[1]、40人枠入りを果たした。
2004年2月21日にマーリンズと1年契約に合意[2]。3月18日にAA級カロライナ・マドキャッツへ異動し、開幕を迎えた。AA級カロライナでは15試合に登板し、3勝5敗・防御率5.55だった。8月からルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレー後、A+級ジュピターへ異動し、リリーフへ転向。6試合に登板した。
2006年11月9日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ。
2007年はA+級リンチバーグ・ヒルキャッツで開幕を迎え、19試合に登板し、0勝3敗4セーブ・防御率4.46だった。7月にAA級アルトゥーナ・カーブへ昇格。18試合に登板し、1勝0敗・防御率3.28だった。オフの11月20日にパイレーツとメジャー契約を結び、40人枠入りした。
2008年3月10日にAA級アルトゥーナへ異動し、開幕を迎えた。この年はAA級アルトゥーナで38試合に登板し、4勝4敗9セーブ・防御率4.74だった。オフの10月30日にFAとなった。
2009年2月9日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[3]。スプリングトレーニングでは、4試合に登板し、6イニングを無失点に抑え、開幕当日の4月6日にドジャースとメジャー契約を結び、開幕ロースター入りした[4]。4月7日のサンディエゴ・パドレス戦で4番手として登板し、メジャーデビュー。1回を無安打無失点1奪三振に抑えた。その後はセットアッパーとして定着したが、7月8日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。その後、8月8日に復帰した。この年は69試合に登板し、4勝3敗・防御率2.04だった。
2010年3月26日に制限リスト入りし、4月20日に復帰した。しかし7月7日に再び制限リストに入り、8月8日に復帰した。理由は「個人的なこと」とされ、詳細は明かされなかった[5]。この年は59試合に登板し、3勝1敗2セーブ、防御率5.04だった。
2011年はコカイン使用が発覚して就労ビザが発行されず[6]、3月2日にドジャースと1年契約に合意したが、同日に制限リスト入りした。結局この年は未登板に終わった。オフの12月21日にMLB機構から25試合の出場停止処分が発表された。
2012年5月3日に出場停止処分が解かれ、5月5日のシカゴ・カブス戦で復帰した。その後はフル回転し、約1ヶ月のロスがありながらチーム最多の68試合に登板。8勝1敗1セーブ・防御率2.54だった。
2013年1月18日にドジャースと1年契約に合意。開幕前の3月に第3回WBCのベネズエラ代表に選出された[7]。シーズンでは6月11日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で乱闘騒ぎが起こり、ベリサリオは1試合の出場停止処分を受け、6月14日の試合を欠場した[8]。この年は自己最多の77試合に登板し、5勝7敗1セーブ・防御率3.97だった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[9]。
2013年12月19日にシカゴ・ホワイトソックスと300万ドルの1年契約を結んだ[10]。
2014年は62試合に登板し、4勝8敗8セーブ・防御率5.56だった。オフの11月20日に戦力外となり[11]、26日に傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ降格。28日にFAとなった。
2015年1月29日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約で合意するが身体検査で破談となった。2月2日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ[12]。6月17日にメジャー契約となり25人枠入りしたが、6試合に登板し、投球回6・自責点7・防御率7.88の成績で7月2日に戦力外となった[13]。4日にFAとなった。
2015年7月16日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[14]。8月2日に解雇となる。オフはベネズエラのウィンターリーグでプレー。
2017年2月16日、メキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約[15]。
この節の加筆が望まれています。 |
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | LAD | 69 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 12 | .571 | 299 | 70.2 | 52 | 4 | 29 | 7 | 6 | 64 | 4 | 0 | 21 | 16 | 2.04 | 1.15 |
2010 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 2 | 16 | .750 | 233 | 55.1 | 52 | 6 | 19 | 4 | 3 | 38 | 4 | 1 | 31 | 31 | 5.04 | 1.28 | |
2012 | 68 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 1 | 23 | .889 | 286 | 71.0 | 47 | 3 | 29 | 4 | 4 | 69 | 1 | 0 | 22 | 20 | 2.54 | 1.07 | |
2013 | 77 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 7 | 1 | 21 | .417 | 300 | 68.0 | 72 | 3 | 28 | 10 | 5 | 49 | 3 | 0 | 34 | 30 | 3.97 | 1.47 | |
2014 | CWS | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 8 | 8 | 12 | .333 | 292 | 66.1 | 78 | 4 | 18 | 7 | 5 | 47 | 2 | 0 | 46 | 41 | 5.56 | 1.45 |
2015 | TB | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 36 | 8.0 | 8 | 0 | 4 | 1 | 0 | 6 | 3 | 0 | 7 | 7 | 7.88 | 1.50 |
MLB:6年 | 341 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 | 20 | 12 | 84 | .545 | 1446 | 339.1 | 309 | 20 | 127 | 33 | 23 | 273 | 17 | 1 | 161 | 145 | 3.85 | 1.28 |
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