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ルイス・ゴンザレス (1967年生の外野手)

キューバ系アメリカ人の野球選手 (1967 - ) ウィキペディアから

ルイス・ゴンザレス (1967年生の外野手)
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ルイス・エミリオ・ゴンザレス(Luis Emilio Gonzalez、1967年9月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手外野手)。ニックネームは「Gonzo」。両親が共にキューバ人のキューバ系アメリカ人。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

ジェファーソン高校時代はティノ・マルティネスとチームメイトだった。南アラバマ大学に進学。

プロ入りとアストロズ時代

1988年のMLBドラフトヒューストン・アストロズから4巡目に指名を受け入団。

1989年まではA級でプレイした。

1990年はAA級で打率.265、24本塁打、89打点、30二塁打の成績を残し、本塁打数と犠牲フライ(12)はリーグ最多タイの成績を残し、9月4日のロサンゼルス・ドジャース戦で代打としてメジャーデビュー[1]。9月8日にメジャー初の先発出場し、メジャー初安打を放っている[1]

1991年は8月29日から9月13日の間故障者リスト入りとなったが、メジャーに定着し、ジョー・モーガン1965年に記録した48長打を上回る50長打を記録し、球団新人選手記録となった[2]

1992年は開幕から不調で5月20日の時点で打率は.158。AAA級ツーソンへ降格したが、13試合で打率.432の成績を残し、6月3日にメジャーへ昇格した[3]。昇格後は7月21日から8月5日まで故障者リスト入りとなったが、84試合に出場し、打率は.309の成績を残した[3]1993年に打率を3割を記録し、リーグ最多の10本の犠牲フライを記録した。

カブス時代

1995年6月28日にシカゴ・カブスに移籍。

アストロズ復帰

1997年にはアストロズに復帰。5月26日から6月20日にかけてアート・ハウの球団記録に並ぶ23試合連続安打を記録。またこの年のリーグ最長記録となった[4]

1998年デトロイト・タイガースへ移籍。本塁打は初めて20の大台を超える23本塁打を記録。8月10日のアナハイム・エンゼルス戦では4打数3安打2本塁打を放ち、5回に通算1000本安打を達成し、7回に通算100本塁打を達成した[5]

ダイヤモンドバックス時代

1999年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍。打率.336、26本塁打、111打点と打撃3部門で自己ベストを更新し、206安打はリーグ最多、45二塁打はリーグ2位となった。また、4月11日から5月18日にかけてリーグ10年ぶりとなる30試合連続安打を含む5回もシーズン中に10試合連続安打以上を記録しており、これはエリック・ヤング(1996年)に次ぐナリーグ史上2人目の選手となった[6]2000年は球団史上初の全162試合に出場し、昨年を上回る47二塁打、31本塁打、114打点を記録[7]

2001年に自己ベストの打率.325、57本塁打、142打点、長打数は史上12人目(のべ15人目)[8]となる100を記録。4月にはリーグタイ記録となる13本塁打を記録し、初の月間MVPを受賞[9]。5月17日にはミッキー・マントル(1956年)を上回る40試合で20本塁打に到達[9]。6月には打率.417、12本塁打の成績で2回目の月間MVPを受賞。8月29日には史上5人目となる9月を前に50本塁打を達成[9]

この年にチームはニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズにおいて歴史的死闘を繰り広げ、第7戦でゴンザレスがヤンキースのクローザーマリアノ・リベラから逆転サヨナラヒットを放ち、球団創設4年目でメジャー制覇という快挙を成し遂げる。

レギュラーシーズンではMVP級の大活躍だったが、73本塁打のバリー・ボンズ、64本塁打のサミー・ソーサには及ばず、投票では3位という結果だった[10]

2002年は打率.288、28本塁打、103打点と前年よりも悪化した。9月23日のカージナルス戦で肩を故障し、連続試合出場が446で途切れた[11]。9月30日に手術を受けた。

2003年3月18日に3年契約を結び、開幕を迎えた[12]。4月30日までに球団新記録となる36安打、タイ記録となる11二塁打を記録し、4月5日から5月19日の40試合中39試合で出塁をしている[12]。打率は2年ぶりに3割を記録し、46二塁打と前年の2倍以上記録している。

2004年は5月22日のフロリダ・マーリンズ戦で2000本安打を達成し、6月30日のサンディエゴ・パドレス戦で球団史上初の1000本安打を達成したが、8月1日の試合を最後に欠場。8月2日にはトミー・ジョン手術を受けた[13]2005年は復活を果たし、2年ぶり5回目となるオールスターに選出された。2006年は自己最多の52二塁打を記録し、4月18日には500二塁打を達成し、史上21人目となる500二塁打・300本塁打を達成した[14]

ドジャース時代

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ロサンゼルス・ドジャース時代
(2007年5月27日)

2006年9月に球団は2007年の1000万ドルのオプションを行使しないと決断し[15]、FAとなり、ドジャースへ1年735万ドルで移籍した[16]

2007年オフにFAとなった。

マーリンズ時代

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フロリダ・マーリンズ時代
(2008年8月4日)

2008年2月7日にマーリンズと1年総額200万ドルの契約を結んだ[17]

現役引退後

2009年8月29日に古巣のダイヤモンドバックスのフロントに加入。

2010年8月7日、ダイヤモンドバックスは1999年 - 2006年の8年間在籍し、多大な功績を残したゴンザレスに対し、背番号『20』を永久欠番とした。

2014年1月、アメリカ野球殿堂の候補となったものの、得票率0.9%で翌年以降の被投票資格を失った。

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

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表彰

記録

背番号

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脚注

関連項目

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外部リンク

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