ラグビーワールドカップ1995
ラグビーユニオンの国際大会 ウィキペディアから
ラグビーワールドカップ1995は、1995年5月25日から6月24日まで、南アフリカ共和国で開催された第3回ラグビーワールドカップ。
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これまでアパルトヘイトの影響によりIRB主催大会から除名されていた南アフリカが初開催とともに初出場、そして初優勝を果たした。
予選
要約
視点
開催国である南アフリカと、第2回大会ベスト8が予選を免除され、残りの7枠を各大陸に割り当てた。
大陸予選
- アジア1
- オセアニア1
- アフリカ1
- アメリカ大陸1
- ヨーロッパ3
アジア予選
→「1994年アジアラグビーフットボール大会」を参照
1994年アジアラグビーフットボール大会を制した日本が本大会出場権を獲得。
- アジア予選敗退(台湾、マレーシア、スリランカ、韓国、香港、タイ、シンガポール)
日本が本大会進出。
オセアニア予選
フィジーとトンガが対戦し、2戦合計34-26で勝利したトンガが本大会出場権を獲得した。
トンガが本大会進出。
アフリカ予選
1次予選を通過した4チームが出場し、1回総当たりのリーグ戦で上位1チームが本大会出場権を獲得。
- 1次予選敗退(ケニア、アラビアンガルフ、チュニジア)
コートジボワールが本大会進出。
アメリカ大陸予選
1993年南米ラグビー選手権を制したアルゼンチンとバミューダを破ったアメリカ合衆国が対戦し、2連勝したアルゼンチンが本大会出場権を獲得。
- 南米予選敗退(ウルグアイ、パラグアイ、チリ)
アルゼンチンが本大会進出。
ヨーロッパ予選
1次予選を通過した8チームとウェールズの計9チームが参加した。3チームずつ3組の1回総当たりのリーグ戦で上位1チームが本大会出場権を獲得。
- 予備予選敗退(デンマーク、アンドラ、ルクセンブルク(棄権)、ハンガリー、ユーゴスラビア(失格))
- 1次予選敗退(ベルギー、スイス、スウェーデン、イスラエル、ポーランド、ジョージア、ラトビア、リトアニア)
2次予選(西)
2次予選(中央)
2次予選(東)
1位のウェールズ、2位のイタリア、3位のルーマニアが本大会進出。(順位は3チームによるリーグ戦の結果による)
出場チーム
予選名 | 前回大会順位
予選順位 |
出場チーム | 出場回数 |
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開催国 | ![]() |
初出場 | |
前回大会 ベスト8 |
優勝 | ![]() |
3大会連続3回目 |
準優勝 | ![]() |
3大会連続3回目 | |
3位 | ![]() |
3大会連続3回目 | |
4位 | ![]() |
3大会連続3回目 | |
ベスト8 | ![]() |
3大会連続3回目 | |
![]() |
3大会連続3回目 | ||
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2大会連続2回目 | ||
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3大会連続3回目 | ||
ヨーロッパ地区 | 1位 | ![]() |
3大会連続3回目 |
2位 | ![]() |
3大会連続3回目 | |
3位 | ![]() |
3大会連続3回目 | |
アジア地区 | 1位 | ![]() |
3大会連続3回目 |
オセアニア地区 | 1位 | ![]() |
2大会ぶり2回目 |
アメリカ地区 | 1位 | ![]() |
3大会連続3回目 |
アフリカ地区 | 1位 | ![]() |
初出場 |
プールステージ
プールA
プールB
プールC
プールD
決勝トーナメント
準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
6月10日 - Ellis Park, ヨハネスブルグ | ||||||||||
![]() | 42 | |||||||||
6月17日 – Kings Park Stadium, ダーバン | ||||||||||
![]() | 14 | |||||||||
![]() | 19 | |||||||||
6月10日 – Kings Park Stadium, ダーバン | ||||||||||
![]() | 15 | |||||||||
![]() | 36 | |||||||||
6月24日 – Ellis Park, ヨハネスブルグ | ||||||||||
![]() | 12 | |||||||||
![]() | 15 | |||||||||
6月11日 – Newlands, ケープタウン | ||||||||||
![]() | 12 | |||||||||
![]() | 25 | |||||||||
6月18日 – Newlands, ケープタウン | ||||||||||
![]() | 22 | |||||||||
![]() | 29 | |||||||||
6月11日 – Loftus Versfeld, プレトリア | ||||||||||
![]() | 45 | 3位決定戦 | ||||||||
![]() | 48 | |||||||||
6月22日 – Loftus Versfeld, プレトリア | ||||||||||
![]() | 30 | |||||||||
![]() | 19 | |||||||||
![]() | 9 | |||||||||
決勝
1995 ワールドカップ優勝国 |
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![]() 南アフリカ共和国 初優勝 |
日本代表
今大会で日本はC組でウェールズ、アイルランド、ニュージーランドと同組になり、3戦すべてブルームフォンテーンのフリーステイト・スタジアムで戦った。
しかし、日本代表は、3戦全敗に終わり、特にニュージーランドに対しては17-145と、1試合最多失点の大会記録となる大敗を喫し、「ブルームフォンテーンの悪夢」(メディアによっては「ブルームフォンテーンの惨劇」とも)[1]と呼ばれている。この試合はニュージーランド代表の最大差勝利試合及び、日本代表の最大差敗戦試合にもなっている。
映画『インビクタス/負けざる者たち』では、マンデラ大統領(モーガン・フリーマン)がニュージーランドの145得点を聞き、その強さに驚愕するシーンがある。
脚注
関連項目
外部リンク
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