1956年メルボルンオリンピック
1956年にオーストラリアで行われた第16回夏季オリンピック ウィキペディアから
1956年メルボルンオリンピック(1956ねんメルボルンオリンピック)は、1956年11月22日から12月8日まで、オーストラリアのメルボルンで行われたオリンピック競技大会。メルボルン1956(Melbourne 1956)と呼称される。
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大会開催までの経緯
1949年にローマで行われたIOC総会で、次の10都市(5ヶ国)が立候補した。
最終的にIOCはメルボルンとブエノスアイレスの南半球2都市に絞って委員に判断を委ね、結果、メルボルンが21票に対し、ブエノスアイレスが20票で、1票差でメルボルンに軍配が上がった。
だがメルボルンは開催都市に選ばれたものの、準備は遅々として進まず、以後3度のIOC総会でも、メルボルンの準備状態報告は要領を得ないものだった。たまりかねたIOCは、3ヶ月の期限付きで開催可能かどうかの最終的な回答を求め、なければ1952年7月のヘルシンキでの総会で改めて1956年開催地を選定すると引導を渡した。メルボルン側は組織委員会を中心にフル回転せざるを得なくなり、とにもかくにも開催可能の回答を用意し、IOCに返事して一件落着となった[1]。
ハイライト
- 夏季オリンピック史上初めて南半球で行われた。また、メルボルンの緯度が高いこともあって結果的に北半球が冬になってからの開催となった(このため、夏季オリンピックでは開会・閉会ともに一番遅い時期に行われた大会である)。なお、44年後の2000年に開催された2000年シドニーオリンピックは9月15日から10月1日、2016年リオデジャネイロオリンピックは8月5日から21日に開催され、2032年ブリスベンオリンピックは7月23日から8月8日に開催される予定である(シドニー、ブラジルのリオデジャネイロ、ブリスベンはいずれもメルボルンより緯度が低い)。
- 3つの国際情勢によりボイコットをする国々が相次いだ。ひとつは、イギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議しエジプト、レバノン、イラクが不参加、2つ目はソ連によるハンガリー侵攻に抗議しスペイン、オランダ、スイスが不参加となった。水球のハンガリー対ソ連戦は乱闘騒ぎにまで発展していった(メルボルンの流血戦)。大会終了後、フェレンツ・プスカシュら45人のハンガリー選手が西側諸国に亡命した。3つ目は中華民国の参加に抗議し、中華人民共和国がボイコットした[2]。エジプト、スペイン、オランダ、スイスは後述する馬術競技に参加、一方中国のオリンピック参加は1984年ロサンゼルスオリンピックまで実現しなかった。
- ドイツが前々回の1948年ロンドンオリンピックに参加が禁じられて以降、1952年ヘルシンキオリンピックでは西ドイツ選手のみの参加に終わったが、この大会から東ドイツとの連合チーム(東西統一ドイツ)での参加、その後1964年まで続いた。
- 地元オーストラリアのベティ・カスバートが陸上競技短距離走で3つの金メダルを獲得し、『ゴールデン・ガール』になった。また、同じオーストラリアのマレー・ローズが競泳で3つの金メダルを獲得した。
- 閉会式の入場が国別でなく、各国の選手が入り混じって一体となった形をとる初めての大会となった。
- 陸上が日程の前半であったために、大きなウエイトを占める陸上選手が早々に帰国してしまい、閉会式が盛り上がらなかった。
- 馬術競技は畜産が主要産業であるオーストラリアの検疫が非常に厳しく、検疫期間が6か月と長期にわたるため1956年6月10日から6月17日まで、スウェーデンのストックホルムで先行して行われた。シドニーオリンピックにおいては技術が進歩し2週間に短縮することが可能になったことにより、オーストラリア国内での開催が可能になっている。
- 日本選手団は当時、史上最多となる銀メダルを10個獲得した。
実施競技
参加国・地域
要約
視点
計67。
Participating National Olympic Committees | |||||
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各国の獲得メダル
→詳細は「1956年メルボルンオリンピックのメダル受賞数一覧」を参照
主なメダリスト
金メダル
- 古川勝(日本、競泳男子200m平泳ぎ)
- 小野喬(日本、体操男子鉄棒)
- 池田三男(日本、レスリングフリースタイルウエルター級)
- 笹原正三(日本、レスリングフリースタイルフェザー級)
- ウラジミール・クーツ(ソ連、陸上競技5000m)
- ウラジミール・クーツ(ソ連、陸上競技10000m)
- アラン・ミムン(フランス、陸上競技男子マラソン)
- アル・オーター(アメリカ、陸上競技男子円盤投)
- ロバート・リチャーズ(アメリカ、陸上競技棒高跳)
- ベティ・カスバート(オーストラリア、陸上競技女子100m)
- ベティ・カスバート(オーストラリア、陸上競技女子200m)
- シャーリー・ストリックランド・デ・ラ・ハンティ(オーストラリア、陸上競技女子80mハードル)
- オーストラリア(陸上競技女子4×100mリレー)
- マレー・ローズ(オーストラリア、競泳男子400m自由形)
- マレー・ローズ(オーストラリア、競泳男子1500m自由形)
- オーストラリア(競泳男子4×200mリレー)
- ドーン・フレーザー(オーストラリア、競泳女子100m自由形)
- オーストラリア(競泳女子4×100mリレー)
- パトリシア・マコーミック(アメリカ、飛び込み女子3m飛板飛び込み)
- パトリシア・マコーミック(アメリカ、飛び込み女子10m高飛び込み)
- ハンガリー(水球男子)
- ヴァチェスラフ・イワーノフ(ソビエト連邦、ボート競技男子シングルスカル)
- ビクトル・チュカリン(ソビエト連邦、体操男子個人総合)
- ビクトル・チュカリン(ソビエト連邦、体操男子平行棒)
- ボリス・シャハリン(ソビエト連邦、体操男子あん馬)
- ソビエト連邦(体操男子団体)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子個人総合)
- ケレティ・アーグネシュ(ハンガリー、体操女子平均台)
- ケレティ・アーグネシュ(ハンガリー、体操女子ゆか)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子ゆか)
- ケレティ・アーグネシュ(ハンガリー、体操女子段違い平行棒)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子跳馬)
- ソビエト連邦(体操女子団体)
- アメリカ(バスケットボール男子)
- ポール・アンダーソン(アメリカ、ウエイトリフティング男子ヘビー級)
- ハンス・ギュンター・ヴィンクラー / ハルラ(ドイツ、馬術障害飛越個人)
- ドイツ(馬術障害飛越団体)
- ハンガリー(フェンシング男子サーブル団体)
- ラルス・ハル(スウェーデン、近代五種競技男子個人)
銀メダル
- 笠原茂(日本、レスリングフリースタイルライト級)
- 山中毅(日本、競泳男子400m自由形)
- 山中毅(日本、競泳男子1500m自由形)
- 吉村昌弘(日本、競泳男子200m平泳ぎ)
- 石本隆(日本、競泳男子200mバタフライ)
- 久保田正躬(日本、体操男子平行棒)
- 小野喬(日本、体操男子あん馬)
- 小野喬(日本、体操男子個人総合)
- 相原信行(日本、体操男子徒手)
- 相原信行・小野喬・久保田正躬・河野昭・竹本正男・塚脇伸作(日本、体操男子団体総合)
- ゴードン・ピリー(イギリス、陸上競技男子5000m)
- マルレーネ・アーレン(チリ、女子やり投げ)
- ドーン・フレーザー(オーストラリア、競泳女子400m自由形)
- ビクトル・チュカリン(ソビエト連邦、体操男子ゆか)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子段違い平行棒)
- ハンガリー(体操女子団体)
- ソビエト連邦(バスケットボール男子)
- リス・ハルテル(デンマーク、馬術馬場馬術個人)
- ドイツ(馬術馬場馬術団体)
銅メダル
脚注
関連楽曲
関連項目
外部リンク
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