マレーシアグランプリ

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マレーシアグランプリ

マレーシアグランプリMalaysia Grand Prix)は1999年から2017年までマレーシアクアラルンプール近郊のセランゴール州セパン(Sepang)にあるセパン・サーキットで行われたF1のグランプリである。

概要 レース情報, 周回 ...
Malaysian Grand Prix
セパン・インターナショナル・サーキット
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レース情報
周回 56
コース長 5.543 km (3.444 mi)
レース長 310.408 km (192.878 mi)
開催回数 36
初回 1962年
最終開催 2017年
最多勝利
(ドライバー)
ジョン・マクドナルド英語版 (4)
v アルバート・プーン英語版 (4)
セバスチャン・ベッテル (4)
最多勝利
(コンストラクター)
フェラーリ (7)
最新開催(2017年):
ポールポジション ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:30.076
決勝順位 1. マックス・フェルスタッペン
レッドブル-タグ・ホイヤー
1:30:01.290
2. ルイス・ハミルトン
メルセデス
+12.770s
3. ダニエル・リカルド
レッドブル-タグ・ホイヤー
+22.519s
ファステストラップ セバスチャン・ベッテル
フェラーリ
1:34.080
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概要

マレーシアの観光振興策のひとつとして、アジア地域では日本(日本GPパシフィックGP)に続き2国目のF1誘致に成功し、1999年に初開催された。ヘルマン・ティルケが設計した新設サーキットでは初開催であった。1999年は第15戦、2000年は最終戦と終盤での開催であったが、2001年から2015年まで、開幕戦オーストラリアGPに続くシーズン第2戦としての開催が定着していた。2016年は開催が10月(第16戦)に移動し、シンガポール→マレーシア→日本というアジア3連戦の2戦目に組み込まれた。

高温・多湿というドライバーには過酷な条件に加えて、午後には毎日のように通り雨(スコール)が降ることがレース結果の予想を難しくしていた。スコールが降り出すとコースは水浸しになり、止むとすぐに路面が乾き始めるため、ドライ用/レイン用タイヤを履き替えるタイミングが重要であった。

2006年からチケットの大幅な値下げが行われたが、それでも観客動員は減少傾向となっており、2016年はセパン・インターナショナル・サーキットのキャパシティの半分強(前年比で1割減)にとどまった。このため、開催契約が切れる2018年をもって撤退することを検討していたが[1]ナズリ・アブドゥル・アジズ(マレーシア観光文化相)は、開催コストの増大(1999年の初回開催時に比べて約10倍)、前述した観客動員の減少(過去最低を記録)、テレビ視聴者数が過去最低に落ち込んでいることを理由に契約延長を行わないとし、2018年をもってマレーシアグランプリを終了することが発表された[2][3]

2017年4月、マレーシア政府はマレーシアグランプリの終了を1年前倒すことを発表した。これによりマレーシアグランプリは19年の歴史に幕を下ろすことになった[4]

おもな出来事

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2007年マレーシアGPの模様(1コーナー付近)
1999年
同年のイギリスGPで右足を骨折したミハエル・シューマッハが復帰戦でポールポジションを獲得。レースでは同僚のエディ・アーバインに勝利を譲り、アーバインとチャンピオンを争うミカ・ハッキネンをブロックするチームプレーを果たした。
2003年
予選ではフェルナンド・アロンソが当時の史上最年少記録(21歳236日)となる初ポールポジションを獲得。決勝レースではキミ・ライコネンが初優勝し、新世代の台頭を印象付けた。
2009年
土砂降りのスコールによりレースが中断。そのまま31周目終了時点の順位でレース打ち切りとなり、1991年オーストラリアGP以来のハーフポイントレースとなった[5]
2012年
この年も雨のため赤旗中断となり、51分後に再スタートが切られた。マシンの不調に悩むフェルナンド・アロンソセルジオ・ペレスとのマッチレースを制して優勝[6]
2013年
セバスチャン・ベッテルチームオーダーを無視してチームメイトのマーク・ウェバーを抜いて優勝し、両者の確執がマスコミを騒がせた。3・4位のメルセデスチームもチームオーダー発動の是非が取りざたされた[7]。また1回目のピットインの際に、メルセデスのルイス・ハミルトンが前年まで在籍していたマクラーレンのピットに間違って進入するハプニングも発生した[8]
2016年
トップを独走していたハミルトンがエンジントラブルでリタイア、ニコ・ロズベルグがスタート直後にベッテルと接触したため順位を落とし、ダニエル・リカルドが2年ぶりの勝利。チームメイトのマックス・フェルスタッペンが2位に続き、レッドブルが3年ぶりの1-2フィニッシュを果たす[9]

過去のレース結果

要約
視点
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

F1世界選手権レース開催前 (1962年-1995年)

1962年-1965年はスポーツカーレースとしてシンガポール(当時はマレーシアのシンガポール州)のトムソン・ロード・グランプリ・サーキット英語版で開催されていたが、1965年8月9日にシンガポールがマレーシアから独立したため、翌1966年からは「シンガポールグランプリ」と改められ、1973年まで同サーキットで開催された。

マレーシアグランプリは1968年からシャー・アラム・サーキットに移して再開され、当初はフォーミュラ・リブレとして、1971年から1975年は「東南アジア 1600cc 2バルブフォーミュラ(SE Asia 1600cc 2-valve Formula)」[10][注 1]、1976年-1977年は「ロスマンズ・インターナショナル・トロフィー (Rothmans International Trophy)」のタイトルがかけられ、「東南アジア 1600cc 4バルブフォーミュラ(SE Asia 1600cc 4-valve Formula)」に変更された[11][注 2]。1978年-1982年は「東南アジアフォーミュラ・パシフィック (Southeast Asia Formula Pacific)」の一戦となった[12][13][注 3]

1995年はフォーミュラ・ブラバム英語版の車両が使用された。

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決勝日サーキット勝者コンストラクター出典
1962 不明トムソン・ロード英語版シンガポールの旗 ヨン・ナム・キー (Yong Nam Kee)ジャガー[14][15][16]
1963 不明トムソン・ロード香港の旗 アルバート・プーン英語版ロータス-フォード[17][15][16]
1964 不明トムソン・ロード豪雨のため7周でレース中止[18][15][16]
1965 04月12日トムソン・ロード香港の旗 アルバート・プーンロータス-フォード[19][15][20]
1966 シンガポールがマレーシアから分離独立したことに伴い「シンガポールグランプリ」に改称(1973年まで開催)
1967
1968 09月08日シャー・アラムインドネシアの旗 ヘングキ・イラワン (Hengkie Irawan)エルフィン英語版-フォード[21][22]
1969 10月26日シャー・アラムマレーシアの旗 トニー・モー (Tony Maw)エルフィン-フォード[23]
1970 09月06日シャー・アラム香港の旗 ジョン・マクドナルド英語版ブラバム-フォード[24]
1971 09月05日シャー・アラム香港の旗 ジョン・マクドナルドブラバム-フォード[25][26]
1972 04月09日シャー・アラムマレーシアの旗 ソニー・ラジャ (Sonny Rajah)マーチ-フォード[27][28]
1973 04月15日シャー・アラム香港の旗 ジョン・マクドナルドブラバム-フォード[29][30]
1974 04月07日シャー・アラム香港の旗 アルバート・プーンブラバム-フォード[31][32]
1975 03月30日シャー・アラム香港の旗 ジョン・マクドナルドブラバム-フォード[33][34]
1976 04月25日シャー・アラム豪雨のため中止[11]
1977 04月24日シャー・アラムフランスの旗 パトリック・タンベイマーチ-フォード[35]
1978 05月28日シャー・アラム香港の旗 アルバート・プーンシェブロン英語版-フォード[36]
1979 05月06日シャー・アラムニュージーランドの旗 ケン・スミス英語版マーチ-フォード[37]
1980 05月25日シャー・アラムニュージーランドの旗 スティーブ・ミレンラルト-フォード
1981 05月24日シャー・アラムニュージーランドの旗 アンドリュー・ミーデッケ (Andrew Miedecke)ラルト-フォード
1982 05月30日シャー・アラムニュージーランドの旗 アンドリュー・ミーデッケラルト-フォード
1983
-
1994
開催されず
1995 不明シャー・アラムオーストラリアの旗 ポール・ストーケル英語版レイナード-ホールデン
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F1世界選手権レース開催後 (1999年-2017年)

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決勝日ラウンドサーキット勝者コンストラクター結果
1999 10月17日15セパンイギリスの旗 エディ・アーバインフェラーリ詳細
2000 10月22日17セパンドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2001 03月18日2セパンドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2002 03月17日2セパンドイツの旗 ラルフ・シューマッハウィリアムズ-BMW詳細
2003 03月23日2セパンフィンランドの旗 キミ・ライコネンマクラーレン-メルセデス詳細
2004 03月21日2セパンドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2005 03月20日2セパンスペインの旗 フェルナンド・アロンソルノー詳細
2006 03月19日2セパンイタリアの旗 ジャンカルロ・フィジケラルノー詳細
2007 04月08日2セパンスペインの旗 フェルナンド・アロンソマクラーレン-メルセデス詳細
2008 03月23日2セパンフィンランドの旗 キミ・ライコネンフェラーリ詳細
2009 04月05日2セパンイギリスの旗 ジェンソン・バトンブラウン-メルセデス詳細
2010 04月04日3セパンドイツの旗 セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
2011 04月10日2セパンドイツの旗 セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
2012 03月25日2セパンスペインの旗 フェルナンド・アロンソフェラーリ詳細
2013 03月24日2セパンドイツの旗 セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
2014 03月30日2セパンイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2015 03月29日2セパンドイツの旗 セバスチャン・ベッテルフェラーリ詳細
2016 10月02日16セパンオーストラリアの旗 ダニエル・リカルドレッドブル-タグ・ホイヤー詳細
2017 10月01日15セパンオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-タグ・ホイヤー詳細
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開催されたサーキット

優勝回数

複数回勝利を挙げた者のみ対象とする。

ドライバー

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回数 ドライバー 優勝年
4 香港の旗 ジョン・マクドナルド英語版 1970, 1971, 1973, 1975
香港の旗 アルバート・プーン英語版 1963, 1965, 1974, 1978
ドイツの旗 セバスチャン・ベッテル 2010, 2011, 2013, 2015
3 ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ 2000, 2001, 2004
スペインの旗 フェルナンド・アロンソ 2005, 2007, 2012
2 オーストラリアの旗 アンドリュー・ミーデッケ 1981, 1982
フィンランドの旗 キミ・ライコネン 2003, 2008
出典: [38]
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コンストラクター

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回数 コンストラクター 優勝年
7 イタリアの旗 フェラーリ 1999, 2000, 2001, 2004, 2008, 2012, 2015
5 イギリスの旗 ブラバム 1970, 1971, 1973, 1974, 1975
オーストリアの旗 レッドブル 2010, 2011, 2013, 2016, 2017
3 イギリスの旗 マーチ 1972, 1977, 1979
イギリスの旗 ラルト 1980, 1981, 1982
2 イギリスの旗 ロータス 1963, 1965
オーストラリアの旗 エルフィン英語版 1968, 1969
フランスの旗 ルノー 2005, 2006
イギリスの旗 マクラーレン 2003, 2007
出典: [38]
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  • 太字2025年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

エンジン

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回数 メーカー 優勝年
16 アメリカ合衆国の旗 フォード [† 1] 1963, 1965, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1975, 1977, 1978, 1979, 1980, 1981, 1982
7 イタリアの旗 フェラーリ 1999, 2000, 2001, 2004, 2008, 2012, 2015
5 フランスの旗 ルノー 2005, 2006, 2010, 2011, 2013
4 ドイツの旗 メルセデス [† 2] 2003, 2007, 2009, 2014
2 ドイツの旗 BMW 1977, 2002
スイスの旗 タグ・ホイヤー [† 3] 2016, 2017
出典: [38]
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  1. 2003年はイルモアが製造。
  2. ルノーが製造。

脚注

関連項目

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