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クロアチアのサッカー選手 ウィキペディアから
マテイ・ヨニッチ(Matej Jonjić、1991年1月29日 - )は、クロアチア・スプリト出身のプロサッカー選手。Kリーグ・仁川ユナイテッドFC所属。ポジションはディフェンダー。
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名前 | ||||||
愛称 | ヨニ | |||||
ラテン文字 | Matej Jonjić | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | クロアチア | |||||
生年月日 | 1991年1月29日(33歳) | |||||
出身地 | スプリト | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 仁川ユナイテッドFC | |||||
ポジション | DF | |||||
背番号 | 22 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
ハイドゥク・スプリト | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2015 | ハイドゥク・スプリト | 20 | (1) | |||
2009-2010 | → NKザダル(loan) | 13 | (0) | |||
2011-2012 | → NKザダル(loan) | 26 | (0) | |||
2014 | → NKオシエク(loan) | 31 | (7) | |||
2015-2016 | 仁川ユナイテッドFC | 71 | (0) | |||
2017-2020 | セレッソ大阪 | 135 | (11) | |||
2021 | 上海申花 | 18 | (1) | |||
2022-2023 | セレッソ大阪 | 48 | (1) | |||
2024- | 仁川ユナイテッドFC | |||||
代表歴 | ||||||
2007 | クロアチアU-16 | 8 | (0) | |||
2007-2008 | クロアチアU-17 | 16 | (0) | |||
2009 | クロアチアU-18 | 8 | (0) | |||
2008-2010 | クロアチアU-19 | 18 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小学1年で地元クラブ、ハイドゥク・スプリトの下部組織のセレクションに合格、16、17歳頃にはアカデミーの中で、自分が最も才能があると感じプロ選手になれると思っていた[4]。2009年7月にレンタル先のNKザダルでプロデビュー。
2010年1月に復帰し2試合に出場した[5]。翌シーズンは7試合に出場した後、6月に再びNKザダルにレンタル移籍した[6]。
2015年、仁川ユナイテッドFCに移籍。2シーズンに渡って主力を担い、2年連続でKリーグベストイレブンに選出された。
2016年12月9日、セレッソ大阪への移籍が発表された[7]。3月4日の浦和レッズ戦でJリーグ初ゴールを決め[8]、5月14日、第11節のサンフレッチェ広島戦ではコーナーキックから2得点を決めるなど[9]、得点能力も示した。2017年はルヴァンカップでは守備の要として川崎を抑え[10]、ルヴァンカップ、天皇杯の二冠獲得、リーグ戦では34試合6ゴールと、ACL出場権獲得の3位確保に貢献した[3][11]。
2019年シーズンはリーグ戦全試合フルタイム出場、序盤こそロティーナ新監督のビルドアップ戦術に苦慮する様子も見られたが、シーズンが進むにつれてフィット[12]。ディフェンスの要としてリーグトップの219クリアを記録、他にもタックル、ブロックの合計スタッツでリーグナンバー1となるなど、2019年のJリーグ最少失点とクラブ史上最少失点に大きく寄与した[13]。
2020年、タックル、クリア、ブロック、インターセプトの合計で最多の294回。2年連続でJ1リーグ最多だった[14]。ベストイレブン受賞はならなかったがJ1・18クラブの監督および選手による投票結果をもとに選ばれる優秀選手賞に2年連続で選出された[15]。
2021年1月21日、中国スーパーリーグ・上海申花への完全移籍が発表された[16]。
2022年2月17日、セレッソ大阪へ2年ぶりに復帰することが発表された[17]。
2023年、「セレッソがJ1でリーグ優勝するために、何が必要か」という記者の質問に対して「それは、僕が出せる答えではないですね。監督・社長・チーム統括部長が考える事だと思う。クラブの理念・方針・戦略を決めるのはそういう人達の役割ですし、そのアイデアの元、僕たち選手は全力を尽くすしかないと思っている。」と答えた。 開幕前には「できるだけ長くセレッソにいたい」と話していたが、入団以降初の怪我で離脱。その期間に他の選手が台頭、出場機会は少なくなっていた。11月30日に今シーズン限りでの契約満了が発表された[18]。
2024年1月24日、仁川ユナイテッドFCに8年ぶりに復帰することが決まった[19]。
U-16からU-19の世代別クロアチア代表に選ばれていた[20]。2010年にはシメ・ヴルサリコ、アンドレイ・クラマリッチらと共にUEFA U-19欧州選手権2010に参加した。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
クロアチア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | ハイドゥク・スプリト | 1.HNL | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | ||
ザダル | 13 | 0 | - | ||||||||
2010-11 | ハイドゥク・スプリト | 4 | 0 | - | |||||||
2011-12 | ザダル | 26 | 0 | - | |||||||
2012-13 | ハイドゥク・スプリト | 11 | 1 | 2 | 0 | - | 13 | 1 | |||
2013-14 | 3 | 0 | 2 | 1 | - | 5 | 1 | ||||
オシエク | 21 | 13 | 3 | 2 | 0 | - | 15 | 3 | |||
2014-15 | 20 | 18 | 4 | 2 | 1 | - | 20 | 5 | |||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 仁川 | 20 | Kクラシック | 37 | 0 | - | 4 | 0 | 41 | 0 | |
2016 | 34 | 0 | - | 2 | 0 | 36 | 0 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | C大阪 | 22 | J1 | 34 | 6 | 5 | 1 | 3 | 0 | 42 | 7 |
2018 | 33 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 37 | 2 | |||
2019 | 34 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | 38 | 2 | |||
2020 | 34 | 2 | 4 | 0 | - | 38 | 2 | ||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2021 | 上海申花 | 超級 | 18 | 1 | - | 5 | 0 | 23 | 1 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2022 | C大阪 | 22 | J1 | 26 | 1 | 7 | 1 | 2 | 1 | 35 | 3 |
2023 | |||||||||||
通算 | クロアチア | 1.HNL | 90 | 8 | - | ||||||
韓国 | Kクラシック | 71 | 0 | - | 6 | 0 | 77 | 0 | |||
日本 | J1 | 161 | 12 | 20 | 2 | 9 | 2 | 190 | 15 | ||
中国 | 超級 | 18 | 1 | - | 5 | 0 | 23 | 1 | |||
総通算 | 340 | 21 | 20 | 2 | 20 | 2 | 380 | 25 |
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