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アメリカ合衆国のSF作家 ウィキペディアから
マイクル・ロースン・ビショップ(Michael Lawson Bishop、1945年11月12日 - 2023年11月13日)は、アメリカ合衆国の作家。主として現代SFおよびファンタジー文学の分野で、40年の期間に30冊の本を上梓した。
ビショップはネブラスカ州リンカーンで生まれた。ジョージア大学で1967年に学士号を取得し、後に英文学で修士号を得た。コロラドスプリングスのアメリカ空軍士官学校予科で1968年から72年まで英文学を教えた後、ジョージア大学に戻った。1971年にはアメリカ空軍士官学校でも教鞭を執っている(サイエンス・フィクションについて教えた)。ビショップは1974年に教職を辞め、専業作家になった。
また、70年代に活躍したSF作家たち、ジョン・ヴァーリイ、ジョージ・R・R・マーティン、ヴォンダ・マッキンタイアらのLDG(レイバー・デイ・グループ)に含められることもある。
ビショップはネビュラ賞を二回受賞している。『胎動』が1981年度中編小説部門、『時の他に敵なし』が1982年度の長編小説部門受賞作である。彼はまたローカス賞の受賞経験を持ち、ヒューゴー賞にも幾度かノミネートされている。彼とイギリスの作家イアン・ワトスンは、ビショップの初期作の世界を舞台に合作を行なっている。彼はまた「フィリップ・ロースン」の共同ペンネームの元にポール・ディ・フィリポ(Paul di Filippo)と合作を行ない、二作の長編ミステリを発表した。彼の作品は12以上の言語に翻訳されている。
ビショップは125以上の短編を書いており、それらは7冊の短編集にまとめられている。彼が短編小説を寄稿した雑誌を挙げると「PLAYBOY」、「アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリ・マガジン」「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」、「アシモフズ・サイエンス・フィクション」、「ファンタジー&サイエンス・フィクション」誌、「the Missouri Review」、「the Indiana Review」、「the Chattahoochee Review」、「the Georgia Review」、「OMNI」、そして「Interzone」であった。
その執筆活動について付言するならば、ビショップは詩も発表しており(二冊の詩集にまとまめられている)、1979年には"For the Lady of a Physicist"でリースリング賞(Rhysling Award)を贈られている。随筆や書評などの著作物は例えば次のような新聞・雑誌に寄稿した。「ニューヨーク・タイムズ」、「ワシントン・ポスト」、「en:Atlanta Journal-Constitution」、「Columbs Ledger-Enquirer」、「OMNI」、「The New York Review of Science Fiction」などである。
彼はフィリップ・K・ディック、シオドア・スタージョン、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、パメラ・サージャント、ガードナー・ドゾワ、ルーシャス・シェパード、メアリー・シェリー、アンディ・ダンカン、ポール・ディ・フィリポ、ブルース・ホランド・ロジャーズ、リース・ヒューズらの著書の序文を書いている。ビショップは6冊のアンソロジーの編集に携わった。
近年ではビショップは教職に戻り、ジョージア州のラグランジュ大学(LaGrange College)のお抱え作家となっている。彼にはジェリという妻がおり、息子と娘と二人の孫もいる。息子のクリストファー・ジェイムズ・ビショップは2007年4月16日にバージニア工科大学銃乱射事件の被害者となり、死亡した。[1][2]
2023年11月13日に死去。78歳没[3]。
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