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ブレイデン・ルーパー
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ブレイデン・ルーパー(Braden LaVern Looper、1974年10月28日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州ウェザーフォード出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
1996年にアトランタオリンピックの野球アメリカ合衆国代表として出場。同年のMLBドラフトでセントルイス・カージナルスから1巡目(全体3位)で指名され、入団[1]。
1998年3月31日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。シーズン終了後にアルマンド・アルマンサ、パブロ・オズーナとともにエドガー・レンテリアとのトレードでフロリダ・マーリンズへ移籍[1]。
2003年はチーム最多の28セーブを挙げたが、ポストシーズンはシーズン途中で移籍で加入したウーゲット・ウービナがクローザーを務め、ルーパーはウービナへつなぐセットアッパーに回った。

(2004年8月7日)
2004年1月6日に2年契約でニューヨーク・メッツへ移籍した[2]。同年は開幕から18試合連続で防御率0.00を記録し[3]、自己ベストとなる防御率2.70・29セーブでシーズンを終えた。
2005年は28セーブを記録したが、セーブの失敗が8回もありワイルドカード争いチームの足を引っ張ってしまった[4]。シーズン終了後に550万ドルの2006年のオプションを破棄され[5]、FAとなった。12月15日に1,350万ドルで古巣カージナルスへ移籍。カージナルスはジェイソン・イズリングハウゼンへつなぐセットアッパーとして獲得したが、ルーパーがクローザーとして活躍した年は100万ドルという出来高も加えられた[6]。
2006年はセットアッパーとして69試合に登板し、9勝を記録した。チームはワールドシリーズに進出し、24年ぶりにワールドシリーズ優勝を果たした。

(2007年7月19日)
2007年は、それまで大学時代からリリーフ専門でメジャーでは全572試合にリリーフ登板していたルーパーに当時の投手コーチであるデーブ・ダンカンの発案によって先発投手に転向させられた[7]。同年は12勝を記録した。
2008年も12勝を記録した。
2009年2月12日にミルウォーキー・ブルワーズと1年契約(2010年までのオプション付き)を結んだ。同年は14勝を挙げ、先発ローテーションを1年間守り抜くも、リーグ最多の39被本塁打を喫する。オフにFAとなるも獲得球団が現れず、2010年は無所属の状態となる。
2011年3月25日に現役引退を表明。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2009年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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