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日本の繊維メーカー ウィキペディアから
株式会社フジコー(FUJI CORPORATION)は、兵庫県伊丹市に本社を置き、不織布・フェルトの製造・販売を手掛けていた企業。日本毛織株式会社(ニッケ)の完全子会社であった。
フジコー本社・本社工場(2024年) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒664-8615 兵庫県伊丹市行基町1-5 |
設立 |
1951年7月6日 (富士帽子工業株式会社)[1] |
廃止 |
2024年6月1日 (日本毛織へ吸収合併され解散) |
業種 | 繊維製品 |
法人番号 | 2140001078870 |
事業内容 | 不織布・フェルトの製造・販売 |
代表者 | 代表取締役社長 日原邦明 |
資本金 | 17億1630万円 |
発行済株式総数 | 1,000,000株[1] |
売上高 |
連結:71億1888万4000円 単独:61億6500万円 (2021年3月期)[2] |
営業利益 |
連結:△2億4168万2000円 単独:△4億9800万円 (2021年3月期)[2] |
純利益 |
連結:△7億967万6000円 単独:△3億6200万円 (2021年3月期)[2] |
純資産 |
連結:77億6661万5000円 単独:76億100万円 (2021年3月31日現在)[2] |
総資産 |
連結:107億7212万4000円 単独:102億9400万円 (2021年3月31日現在)[2] |
従業員数 |
連結:433人 (2021年3月31日現在)[1] |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
日本毛織 100% (2021年9月1日現在) |
主要子会社 | 三和フェルト |
外部リンク | http://www.fujico-jp.com/ |
1927年、掘抜義太郞が掘抜帽子製造所(掘抜製帽とも)として創業。工場は東洋一の帽子製造工場と呼ばれる規模だった。日中戦争と第二次大戦による戦時体制下では原材料の統制を受け、主力製品は軍用ゲートルの製造へと変わる。戦後、平和産業として再出発を試みたが、占領下で原料の羊毛が輸入できず、配給も滞ったことで1951年に倒産した[3]。
掘抜製帽の再建のため日本勧業銀行が出資し、1951年7月に富士帽子工業株式会社として法人へ改組。主要製品を斜陽化しつつあった帽子からフェルトに切り替え、1956年に工業用フェルト分野に進出。1960年代半ばに合成繊維をフェルト化したニードルパンチカーペットの製造を開始する。一方で祖業の帽子製造も布製やニット帽など多角化を進め、さらにアメリカのバイヤーローリネック社と提携、紳士帽の名門ブランド「ノックス (KNOX) 」の国内生産と輸出を手掛ける[4]。
1970年代に入ると各種産業向けの不織布・フェルトの比重が高まり、総合メーカーとしてフジコーへ商号を変更。高温耐熱成型断熱材やNAS(ナトリウム・硫黄)電池の電極用フェルトといった先端技術分野から、カーペットなどの日常消費財まで各種製品を幅広く手がけている[5]。
ニッケは2021年5月13日に、フジコーを同年9月1日付で簡易株式交換により完全子会社化する事を発表[1][5][6]。フジコー株式は同年8月30日に上場廃止となり、フジコーは同年9月1日付でニッケの完全子会社となった。
2024年6月1日付でニッケに吸収合併され、フジコーは解散した[7]。
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