フェアフィールド (コネチカット州)
アメリカ合衆国コネチカット州の町 ウィキペディアから
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フェアフィールド(英: Fairfield)は、アメリカ合衆国コネチカット州のフェアフィールド郡にある町。人口は6万2871人(2022年推計)。コネチカット州のゴールドコーストにあり、東は州内最大の都市ブリッジポート、西はウエストポート町である。内陸側(北)にはトランブル、イーストン、ウェストンの各町が並んでいる。
フェアフィールド | |
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町 | |
Fairfield | |
上空から | |
フェアフィールド郡内の位置 | |
北緯41度10分33秒 西経73度16分19秒 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | コネチカット州 |
郡 | フェアフィールド郡 |
ニューイングランド市町地域 | ブリッジポート・スタンフォード |
地域 | ブリッジポート大都市圏 |
入植 | 1639年(ロジャー・ルドロー) |
政府 | |
• 種別 | 代表制タウンミーティング方式 |
• 第一セレクトマン | マイケル・C・テトロー(民主党) |
• 教育委員長 | フィル・ドワイア(民主党) |
• 財務委員長 | トマス・フリン(共和党) |
• タウンミーティング議長 | メアリー・マッカルー(共和党) |
面積 | |
• 合計 | 31.3 mi2 (81.1 km2) |
• 陸地 | 30.0 mi2 (77.8 km2) |
• 水域 | 1.3 mi2 (3.4 km2) |
標高 | 59 ft (18 m) |
人口 (2022年)推計[1] | |
• 合計 | 62,871人 |
• 密度 | 2,000人/mi2 (780人/km2) |
等時帯 | UTC-5 (東部標準時) |
• 夏時間 | UTC-4 (東部夏時間) |
郵便番号 |
06824 06825 06828 (ゼネラル・エレクトリック) 06890 (サウスポート) |
市外局番 | 203 |
FIPS code | 09-26620 |
GNIS feature ID | 0213429 |
ウェブサイト | http://www.fairfieldct.org/ |
2006年7月、雑誌「マネー」が「アメリカ合衆国で住みたい場所、かつ北東部で住みたい場所」リストの第9位に挙げた[2]。
1635年、マサチューセッツ湾植民地のピューリタンと会衆派教徒が、聖公会(イングランド国教会)の規則と規制に従う信仰社会を作ろうとしたその速度に不満を抱いた。マサチューセッツ議会は彼らに、現在コネチカット州と呼ばれる地域のウィンザー、ウィンザーズフィールド、ハートフォードの町に入植する許可を与えた。
1639年1月14日、基礎秩序と呼ばれた法と管理規則一セットが採択され、自治的主体としてコネチカットを設立した。1639年までに開拓者達は周辺地域に新しい町を作り始めていた。基礎秩序の枠踏みを作ったロジャー・ルドローが、現在のフェアフィールドの土地を購入し、その名前を付けた。
歴史家のジョン・M・テイラーに拠れば、「1639年に植民地議会がルドローにペクァノッケでプランテーションを始める許可を与えた。ルドローがウィンザーからの数人と共にその任務を始め、その後はウォータータウンやコンコードからの移民達が加わった。ルドローはペクァノッケ族の酋長から広大な土地を買収し、その後は西方の土地を買って大きく拡大し、さらに第二次ピクォート遠征で自ら見ていたその先の魅力的な地域(アンコア)を思い出し、そこにも入植して、現在のフェアフィールド町を包含する領土を買収し、そこに名前を与えた」としている[3]。
フェアフィールドはコネチカット南西部にあったコネチカット植民地では2つの主要開拓地の1つだった(もう1つはストラットフォード)。1661年5月、コネチカット植民地から委員に指名された、フェアフィールドの初期開拓者であるジョン・バンクス、リチャード・オルムステッド、ジョセフ・ジャドソン中尉が、ストラットフォードとの町境を設定した[4]。ノーウォークとの町境が設定されたのは1685年5月になってからだった[5]。
長い間に、フェアフィールドの領域から新しい町が分離し、それぞれ法人化されていった。以下がその町のリストである。
1770年代にアメリカ独立戦争が始まったとき、フェアフィールド住民はコネチカットの他のどこよりも多くの災難にあった。植民地の中ではロイヤリストが多い地域にあって、フェアフィールド住民は早くからアメリカの独立を支持する側に回った。戦争を通じてイギリス軍の支配するロングアイランドの者達が捕鯨船や私掠船で海岸部を襲撃したので、ロングアイランド湾全体で戦闘が続いた。ゴールド・セレック・シリマンが海岸部の防衛にあたった。その家は現在もジェニングス道路沿いに立っている。
1779年春、イギリス軍がフェアフィールド軍を襲撃する準備のために、シリマンはロイヤリストの部隊に自家から誘拐された。その妻メアリー・シリマンは、1779年7月7日朝に、約2,000名の敵軍がパイン・クリーク・ポイント近くでフェアフィールド・ビーチに上陸し、町を侵略するために行軍してくるのを、自分の家から見ていた。その敵軍が翌日夜に去って行ったとき、町全体が反乱軍を維持した懲罰として燃やされ、灰燼に帰していた。その10年後、ジョージ・ワシントン大統領がフェアフィールドを通って旅した後で、「イギリス軍の残酷さによる破壊の証拠はノーウォークとフェアフィールドの双方で今も見られる。多くの焼かれた家の煙突がそのまま立っている」と述べた[6]。
フェアフィールドは焼け跡から緩りち立ち直ったが、終戦後間もなく家屋や公共建造物は全て建て直された。
第一次世界大戦で、フェアフィールドは農業社会から抜け出し、ブリッジポートで前例のないほどの好景気の引き金を引くことで大規模な軍需品産業の中心となった。この繁栄によって町内では住宅が不足し、労働者の多くはその家を建てるためにフェアフィールドの土地を探した。路面電車、さらに後には自動車がこれら中流階級の新に裕福になった者達に田園部まで出ていけるようにし、新しい習慣を作り、新しい行動を始め、新しいスタイルの服を着た。この繁栄は1920年代を通じて続いた。
ウォール街大暴落が起きた時、町の人口は17,000人まで増えていた(第一次世界大戦の前は6,000人に過ぎなかった)。世界恐慌の間であっても、町は成長し続けていた。
1945年11月29日、大風が吹いてフェアフィールドのペンフィールド岩礁で、2人の乗組員を乗せた艀が座礁し、アメリカ史の中でも初めて民間ヘリコプターを使った救出劇があった。このヘリコプターはブリッジポートのシコルスキー・エアクラフト工場から飛んできた。
フェアフィールドには世界最大級の会社であるゼネラル・エレクトリックの本社がある。
1950年代にコネチカット・ターンパイクが開通し、フェアフィールドに新たな開発の波が訪れ、1960年代には郊外型住宅地という性格がしっかりと根付いた。
フェアフィールドはロングアイランド湾岸にある。アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、町域全面積は31.3平方マイル (81 km2)であり、このうち陸地30.0平方マイル (78 km2)、水域は1.3平方マイル (3.4 km2)で水域率は4.15%である。ミル川が町を流れ、モヘガン湖に注ぐ。
フェアフィールドは多くの地区でできている。最も有名な地区は裕福なサウスポートであり、ゼネラル・エレクトリックのCEOジャック・ウェルチがここに長くすんでいた。またグリーンフィールドヒルは、大きな地区であり、ハナミズキの木があることで名高く、白い尖塔のある会衆派教会は絵のような緑に囲まれている。その他世間に認められる地区には、ストラットフィールド、タンクシスヒル、大学地域、グラスミア、ミルプレーン、ナップス・ビレッジ、メルビル・ビレッジ、ホランドヒル、フェアフィールド・ビーチがある。フェアフィールド・ビーチは近年海浜や中心街の近くに住むことを望む住民が多くの新しい家を建設したことで、大きな変革があった[7]。町内のショッピング地区にはポスト道路(アメリカ国道1号)沿いとブラックロック・ターンパイク沿いがある。
以下は2010年の国勢調査による人口統計データである[9]。
基礎データ
人種別人口構成
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年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
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収入収入と家計 |
フェアフィールドは数ある中でもその低い犯罪率で知られている。過去5年間で殺人は僅か3件だった。雑誌「マネー」の2006年「住みたい場所」リストでは、アメリカ合衆国で2番目に安全な自治体になっていた[11]。
2012年、フェアフィールドは雑誌「マネー」の「住みたい場所」リストで第64位だった[12]。
2012年5月、ムーディーズ・インベスターズ・サービスがフェアフィールドの1億9,200万ドル一般財源保証債を「ネガティブ」から「ステーブル」に変更した[14]。同年6月、ムーディーズはAaaレーティングを与え、それが今日まで続いている。
2005年、フェアフィールドの固定資産税率は1.667%だった[15]。2012年から2013年会計年度では4%上昇し、2.337%になった[16]。2013年から2014年会計年度でも2.38%増加して2.393%となった[17]。
フェアフィールド住民は豊富なレクリエーション機会を楽しんでおり、その多くはフェアフィールドがロングアイランド湾に面している立地条件から来ている。
町政府は3人の委員による町政委員会、代表制タウンミーティング、財務委員会、教育委員会、企画地区割り委員会、その他指名に拠る政治的な委員会で構成されている[25]。
町内には刑事および民事の裁判を行う施設が無く、全ての審判はブリッジポートの上級裁判所で行われる。しかしフェアフィールド警察署が扱う少年が関わる事件については少年審査委員会で扱う。
フェアフィールド警察署は1926年に創設された。これは町が造られてから287年後のことだった[26]。
フェアフィールドはフェアフィールド消防署の95人の常勤消防士、およびサウスポート消防団とストラットフィールド消防団の団員によって守られている。常勤消防士は5つの駐屯所から稼働し、消防車5台、梯子車2台、救急車1台、消防艇1隻を扱い、また幾つかの特殊部隊がある。消防団は常勤消防士の駐屯所のうち2か所に詰めている。年間9,500件の緊急呼び出しに対応している[27]。サウスポート消防団は1895年からある[28]。フェアフィールド消防署は1920年から活動している[29]。
フェアフィールド消防署は、リチャード・ホワイト・ウェイ205にあるコネチカット地域消防訓練学校を運営している[30]。
フェアフィールドにはフェアフィールド・ウォード高校と、フェアフィールド・ルドロー高校の2つの高校がある。中学校は3校、小学校は11校ある[31]。
町内にはカトリック系の学校もあり、高校はフェアフィールド予備校とノートルダム高校の2校、小学校はセントトマス・アキナスとアワーレディ・オブ・ジ・アサンプションの2校である。
非宗教系私立学校にはフェアフィールド・カントリー・デイスクールとアンクォワ学校がある。
高等教育機関としては、フェアフィールド大学とセイクレッドハート大学がある。
町内をアメリカ国道1号、州間高速道路95号線、メリット・パークウェイが通っている。メトロノース鉄道の通勤鉄道が通っており、フェアフィールド・メトロ、フェアフィールド、サウスポートの3駅がある。公共交通はグレーター・ブリッジポート交通局がバス便を運行している。
映画[69]
テレビ
その他
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