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ポーランド出身でイギリスを拠点に活動する歌手 ウィキペディアから
バーシア(Basia、本名:バルバラ・スタニセワ・チェチェレフスカ[1]、1954年9月30日 - )は、イギリスを中心に活動するポーランド出身の歌手、音楽プロデューサーである。
ポーランドのシロンスク県ヤヴォジュノ生まれ。実家はアイスクリーム屋を営んでいた。幼少期から合唱に取り組み、成長してプロの歌手としてポーランド国内で歌った。歌手活動と並行してポーランド最古の大学でワルシャワ大学と並ぶ名門大学のヤギェウォ大学[2]で数学を専攻することを希望していたが、両親が職人であった関係で入試における点数が足りなかったために、致し方なく物理学の専攻に変更した[3]。そのような状況下で、ポーランドで活動するAlibabkiのマネージャーからの連絡があったため、魅力を感じない物理学を諦めてバンド活動に軸足を移した[4]。
その後、1979年にアメリカ、のちイギリスに渡り、一時イギリスで流行したファンカラティーナ[5]というジャンルを代表するバンド「ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク」で活動したマーク・ライリーが率いるマット・ビアンコへの在籍を経て、そのメンバーであったダニー・ホワイトと彼の兄ピーター・ホワイトのサポートで1986年にソロ・デビューした(ソロデビューまでの移住先の国の首都名が後のソロ2枚目のアルバムである London Warsaw New York の題名となる)。ラテン音楽の影響はソロ活動においても残っており、ボサノヴァなどのブラジル音楽やジャズをポップスとして昇華させた上品な楽曲で人気を博した。初期の2枚のアルバム作品は、1980年代の英語圏の音楽シーンを席巻していたPWLも制作に協力(全面プロデュースではない)した作品で、シンセ打ち込みを主体とした作風であった。
アメリカやイギリスを中心に活動した他、数回来日したこともある。バーシアのソロデビュー当時、空前のバブル景気に沸いていた日本では、ハイソな音楽性によって早期から本物を求める文化的な感度の高い層に人気を博しており、各所でプッシュされていた。例えば、ソロデビューアルバム収録曲の『ニュー・デイ・フォー・ユー』が日本のファッションビルであるPARCOのクリスマス・キャンペーン・ソングに採用され、バーシア自身もポーランド語を話すCMで日本での知名度を獲得した。CM出演の結果として渋谷PARCO内にある渋谷CLUB QUATTROのこけら落としのライブも行うことになった。渋谷PARCOも渋谷CLUB QUATTROも共に20世紀の日本で最先端だった渋谷文化を牽引する存在であった。従って、バーシアは日本のバブル期を彩った存在でもある。
2003年にはマット・ビアンコに、初期オリジナル・メンバーとして復帰しアルバム『マッツ・ムード』を発表、ツアーにも参加した。ただしマット・ビアンコはマーク・ライリー個人のバンドユニット名となっており、パーマネントなバンド編成ではないため、期間限定の復帰に終わった。
2009年に『イッツ・ザット・ガール・アゲイン』をソロ・アルバムとして約15年ぶりに発表し、世界ツアーを行った。来日も果たし、ブルーノート東京、名古屋にて公演を行った。
2013年の来日公演では、バーシア本人の体調不良により、東京公演の一部がバーシア不在による公演となった。
2015年にも来日公演を行う。
2018年5月16日に実に9年ぶりとなるオリジナル・アルバム『バタフライズ』をリリースした。 同年中にワールドツアーを行い、来日を果たした。
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